品川 (東京都)
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品川(しながわ)は、現在でいう東京都港区高輪と同区港南周辺から品川区、北品川、南品川、東品川、西品川、大崎、広町一帯の地域である。
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[編集] 概要
元々は、目黒川の河口付近一帯の地域を指して品川と言った。近代になって、品川駅がこれよりかなり北側に開業したため、現在の品川の心象的地理は、これを含めた地域まで拡大している。
品川の由来は、目黒川の別名であるとする説、高輪に対して品ヶ輪とした説など様々あり、はっきりとしたことはよく分からない。
[編集] 地理
品川の地形的な重要要素となる目黒川は北品川と南品川の間を流れ、現在は天王洲アイルの南側で東京湾に注いでいる。
旧東海道から沖合いは、その殆どが近代以降の埋め立て地となっている。
[編集] 歴史
「品川」の文字が歴史書において初見されるのは、1184年(元暦元年)の田代文書である。
室町時代には品川湊を拠点とした豪商・鈴木道胤の存在が知られており、古河公方足利成氏や太田道灌といった関東の実力者からも一目置かれていた。
江戸時代においては、東海道、江戸口の一番目の宿場町品川宿として栄えた。現在の東海道、国道15号線は、当時の東海道から離れた位置にあり、これと国道357号線に挟まれた路地が当時の東海道である。
又、江戸の港町としても栄え、上方へ向かう廻船が品川湊から出航した。
品川の心象的地理が拡大した要因ともなる、東海道本線品川駅が現在の港区港南に開業したのは、日本発の鉄道が品川-横浜(現在の桜木町駅)間に敷設された、1872年10月14日の事である。
なお、1902年に京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)が現在の大森海岸駅まで開業した際は、現在の北品川駅が品川駅を名乗った。これは地理的にみると省線の品川よりも名乗りが正しいが、これよりも省線の品川駅よりに路線を延長して省線品川駅向いに高輪駅を開業させると、品川駅から北品川駅へと名称を改めた。
さらに1933年に高輪駅を廃して、現在地と同じ省線品川駅に併設される形に改められて以来、京急本線では品川駅の南側は北品川駅という状態が続いている。
旧東海道付近は、かすかに宿場町である品川宿の風情を残している。大崎駅一帯、品川駅一帯では近年再開発が進み、町の顔が大きく様変わりしている。
[編集] 品川駅東口地区再開発地区計画
品川駅東口一帯は元々は国鉄の土地であった。1984年に興和不動産が貨物ヤード(A-1地区)を買い取り開発の計画が進みかけたが、1987年の国鉄解体により新幹線の車両基地が国鉄清算事業団に移譲されたため、この土地(B-1地区)も同時に開発されることとなり、同年早速興和不動産は新都心品川へ向けてを発表した。その後、初の再開発地区計画制度を導入することが決まり、その後計画の検討が重ねられ、まず興和不動産によりA-1地区に品川インターシティが1995年に着工、1998年に竣工し、続けて三菱商事を中心とする10社会によってB-1地区に品川グランドコモンズが2000年に着工、2003年に竣工した。
- A-1地区品川インターシティ
- 品川インターシティA棟
- 品川インターシティB棟 - 大林組東京本社など
- 品川インターシティC棟
- B-1地区品川グランドコモンズ
- B-3地区
- アレア品川 - オフィスビル
- その他
- NTTDoCoMo品川ビル
- JR品川イーストビル
この地区では羽田空港の高さ制限があり、ぎりぎりの高さで建てられているため、150m前後の建物が多い。
新幹線開業した品川駅からの通路や広場、自動車の地下通路や駐車場なども整備され、一大オフィス街を形成している。しかし、超高層ビルが東京湾沿いに風を遮るように隙間もなく林立していることから、ヒートアイランド現象の促進を危惧する声もある。