名鉄三河線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三河線(みかわせん)は、愛知県豊田市の猿投駅から愛知県碧南市の碧南駅までを結ぶ名古屋鉄道の鉄道路線である。 名古屋本線の知立駅から南北に分岐する支線で、通称として知立駅を境に猿投方面の山地へ向かう北側を山線、碧南方面の海に近い南側を海線と呼ぶことがある。
運賃計算区分はC。(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)
目次 |
[編集] 路線データ
[編集] 営業中の区間
- 路線距離(営業キロ):猿投~碧南間39.8km
- 軌間:1067mm
- 駅数:23駅(起終点駅を含む)
- 複線区間:梅坪~豊田市間、知立~重原間、刈谷~刈谷市間。それ以外は単線。
- 電化区間:直流1500V
- 閉塞方式:自動閉塞式
[編集] 廃止区間
[編集] 西中金~猿投間
- 路線距離(営業キロ):8.6km
- 軌間:1067mm
- 駅数:4(猿投駅を除く)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:スタフ閉塞式(西中金~猿投間で1閉塞)
[編集] 碧南~吉良吉田間
- 路線距離(営業キロ):16.4km
- 軌間:1067mm
- 駅数:11(碧南駅を除く、吉良吉田駅を含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:票券閉塞式
- 交換可能駅:1(三河平坂 ※三河平坂では朝のみ係員が派遣されて閉塞扱いが行われ、それ以外の時間帯は碧南・吉良吉田間を一閉塞にした併合閉塞が施行されていた)
[編集] 概要
[編集] 営業中の区間
[編集] 猿投~知立間
猿投~知立間の山線の中間部分は自動車産業で有名な愛知県豊田市の真ん中を貫いている。同市の玄関駅は豊田市駅で、一駅北の梅坪駅から、西進して名古屋の中心へ向かう豊田線(名古屋市内は名古屋市営地下鉄鶴舞線と相互乗り入れ)が分岐している。豊田市駅から梅坪駅を経て越戸駅あたりまでは高架線であり、豊田市~梅坪間は豊田線の列車も走るため複線になっている。越戸駅から猿投駅までは、林の中を抜けていくような、ローカル色の濃い区間である。2001年に線区の合理化を進めるべく、いち早くワンマン運転を開始した。
乗客の流れは、知立駅からの名古屋本線、あるいは豊田市駅・梅坪駅から豊田線を経て、名古屋などとの往来が主体となるが、豊田市内の自動車関連工場への通勤利用による流れも見られる。
[編集] 知立~碧南間
知立~碧南間の海線には部分複線区間が存在するが、区間が短いために電車同士のすれ違いはなく、複線化されているメリットは活かされていない。また刈谷駅で接続するJR東海道本線のダイヤ拡充と所要時間の短さ、乗車駅によってはJR線経由の方が安くなる運賃などで、名鉄名古屋本線を利用して名古屋へ向かう利用客が減少したため、名鉄は早朝を除き名古屋方面への直通電車を取り止め、ほとんどを知立乗換にしてしまった。また名古屋本線から碧南に向かう直通電車も、夜遅い時間帯に1本残っていたが、2006年のダイヤ改正で廃止されてしまった。海線区間のうち高架駅は刈谷市駅のみで、三河高浜駅と刈谷駅が橋上駅になっている。電車交換可能駅の北新川駅は、車両が進行方向右側のホームに進入する。ワンマン運転は末端区間廃止後の2005年に導入された。
乗客の流れは、知立駅からの名古屋本線、あるいは刈谷駅からJRの東海道本線を経て、名古屋などとの往来が主体となる。
[編集] 廃止区間
2004年4月1日には両端区間の、山間部を走る西中金~猿投間、海沿いを走る碧南~吉良吉田間が廃止された。これらの区間は閑散区間で、1985年からは合理化のため電気運転を廃止し、小型のディーゼルカーであるレールバスを運行していた。しかし両区間の乗客の減少は続き、2000年に名古屋鉄道は西中金~猿投間、碧南~吉良吉田間の廃止届を同年秋に提出することを表明。沿線自治体が赤字補填をして存続させていた。2004年10月1日が当初の廃止期限であったが、代替バスの運行開始を学校の新年度に合わせることで、半年の前倒しとなった。
山線の廃止区間(西中金~猿投間)廃止後は豊田市から委託された名鉄東部交通・豊栄交通により、さなげ足助バスが四郷駅~猿投駅~西中金~香嵐渓~足助~百年草を結んでいる。
海線の廃止区間(碧南~吉良吉田間)はほぼ三河湾に沿って走っており、碧南~三河旭の部分は、市街地を3分の2周する大きなオメガ(Ω)カーブとなっていた。これは鉄道敷設当時にカーブの先端に当たる玉津浦駅を、海水浴場の最寄り駅としての利便性を図ったことに起因するともいわれる。 三河楠~寺津間には、この区間の鉄道敷設の翌年の1927年に北寺津駅が設置されたが、1944年に休止され1969年に廃止された。同区間にある鉄道高架橋は、三河南部から中部国際空港へのアクセス道路となる県道衣浦岡崎線への踏切設置を避けるために、およそ21億円の費用で建設をされたが、1998年に供用を開始して間もなく名鉄は区間廃止を表明したため、わずかな期間しか利用されない高架橋工事への批判が噴出した。沿線自治体による年間2億円の赤字補填で鉄道の延命が図られたものの、このまま赤字補填を続けても、近い将来、三河旭~中畑間の矢作川鉄橋の架け替えに莫大な費用が掛かるとの懸念から、一部自治体が存続を断念する表明をしたことで海線側の廃止が決まり、山線側も追随する結果となった。
廃止後、旧沿線自治体からなるふれんどバス運行協議会から、碧南~吉良吉田~吉良高校前間が名鉄東部観光バスによるふれんどバスという名称の代替バスに転換された。
[編集] 未成区間
山線の終点は西中金駅であったが、最終的には足助に至る予定だった。しかし、世界恐慌の影響や用地買収の難航などが足助付近の建設に支障し、路盤の殆どの完成を見た時には太平洋戦争の開戦に見舞われた。敷設されるはずだったレールは南方戦線に供出されてしまい、ついに電車が走ることのなかったかつての路盤は現在、細い市道となっている。足助には紅葉の名所で知られる香嵐渓があり、毎年秋のシーズンになると三河線に並行する国道153号(飯田街道)が激しい渋滞を起こすため未成線になってしまったことが悔やまれているが、通年利用者数が期待できず、採算性の面から実現は乏しかったとする見方もある。
また三河線前身の三河鉄道当時に、子会社の新三河鉄道が取得していた八事(名古屋市)~挙母間の鉄道敷設免許は、のちに合併した名鉄に引き継がれ、長い時間を経て名鉄豊田線となっている。
[編集] 複線化計画
山線では沿線の豊田市に本社を置くトヨタ自動車が、名古屋駅前の高層ビルミッドランドスクエアに営業部門を集結させることや、沿線にある同社の工場へ通勤での電車利用を推進する方針を打ち出したことで、さらなる輸送人員増加が期待出来ることから、名鉄は2006年度からの新3カ年経営計画で、名鉄空港線とともに「高架化、複線化、高速化など、需要に応じた投資を多角的に行う」と明示し、知立駅から豊田市駅までの複線化も本格的に検討され始めた。
すでに豊田市は、複線化用地取得費用の面で及び腰だった名鉄側の姿勢を見て、市独自に区画整理事業、立体交差事業を進めて複線化対応の高架線建設を計画するなど、「後は複線の線路敷設だけ」というお膳立てをする積極行動に出て、2009年にまず三河八橋駅周辺高架化1.6kmが完成予定であり、また、隣の若林駅周辺2kmの高架事業も2006年度から調査が始められている。
知立駅連続立体交差事業についても一部の周辺整備事業が開始され、2014年度の完成を目指している。しかし、知立市の計画は、すでに重原駅まで部分複線化されている海線側は複線化対応の高架計画だが、現在も単線の山線側は、連続立体交差事業により同時に高架化される予定の三河知立駅までが複線化対応で、三河知立駅から先の区間は単線化のままの高架計画となっている。これは一つの事業としての費用を低く抑えるために、名鉄側との確約が取れていない複線化を先行して行わないという消極的判断で、豊田市の対応とは対照的であり、自治体の財政の差を見せつけられた結果となっている。また、この連続立体交差事業の三河知立駅同時高架化という案に対し、やはり事業費圧縮のため、高架区間から外れた知立市山町、同市牛田町地内に駅を移転し、地上駅とする案も出されている。
海線では1967年9月に沿線自治体4市により名鉄三河線複線化促進期成同盟会が結成されて以来、1976年の知立~重原間、1980年の刈谷市駅高架化に伴う刈谷~刈谷市間の複線化がなされたものの、翌1981年に碧南中央駅の移設開業では1面1線の駅構造となり、複線化対応は見送られた。1984年に貨物営業が廃止されると各駅構内の整理が進み、間もなく吉浜、高浜港両駅も棒線化された。鉄道から車へのシフト、またJR東海道線のダイヤ拡充に伴い、名鉄本線直通の効果が見いだせない海線には、複線化促進の兆しが見えていない。そんな中、2002年に河川改修に伴う小垣江駅周辺の工事では、刈谷市駅寄りにおよそ300mの複線区間が完成した。
今でも名鉄三河線複線化促進期成同盟会は活動を行っているが、名鉄側は東部支配人と部長などが参加し、毎回、要望と意見交換で終わっている。
[編集] 運行形態
知立駅で運転系統が分かれている。
山線区間では、知立~猿投間で深夜時間帯を除き15分間隔で普通列車が運行されている。この区間には駅集中管理システムが導入されており、ワンマン運転が実施されている。各駅にはホームに赤外線センサが据え付けられ、列車発車直後の列車接触を検出するようになっている。なお、赤外線センサは、あくまでもセンサであり、ドア部分以外でのホーム転落を防ぐための柵ではなく、そのような形状はしていない。
他に、梅坪~豊田市間には、豊田線・名古屋市営地下鉄鶴舞線・犬山線への直通列車が乗り入れている。
海線区間では、普通列車のみ15分間隔で運行されている。この区間にも全線で2005年より駅集中管理システムが導入された事により、2006年4月29日のダイヤ改正からワンマン運転が開始された。運転方式は山線と同様のホームセンサーではなく、小牧線と同様の運転台に設置されたモニターによって乗降客の安全を確保している。
廃止区間の西中金~猿投間、碧南~吉良吉田間は、廃止時点でレールバスを使用しての区間内折り返しワンマン運転で、60分間隔の運行であった。
[編集] 歴史
1910年に刈谷出身の代議士の三浦逸平が発起人となって、大浜(現在の碧南市)から高浜を結び、刈谷で東海道線に接続する構想の碧海軽便鉄道を申請した。 1912年に東海道線の刈谷駅から、さらに知立まで延長して結ぶ計画に改め三河鉄道を設立した。途中、明治から大正への改元を挟み、同年に知立~挙母(豊田市)の敷設免許を持つ知挙軽便鉄道を合併した。
開業時は大浜港(現在の碧南)、新川町、高浜港、吉浜、小垣江、刈谷町(現在の刈谷市)、刈谷新(現在の刈谷)の各駅と、北新川の停留所が置かれ、14.5kmの区間を所要時間1時間以上かけて運転されていた。後にこの区間には三河高浜駅が増設され、夏の海水浴シーズンには新須磨臨時停車場が設置された。
知立(現在の三河知立)~刈谷新間を1915年に開通させると、続いて越戸、さらに足助方面への延伸を計画。西中金駅までは1928年に達したが、足助までの延伸は世界恐慌の影響や用地買収の難航、太平洋戦争などにより断念することになる。
大浜港以南の区間も1926年に神谷(のちの松木島)まで延長され、1928年に吉良吉田駅まで開通した。開通時に神谷駅と呼ばれた松木島駅は、三河鉄道が経営危機に陥った1916年に社長に就任し、自らも莫大な資金を投入して経営再建を果した神谷伝兵衛の出身地で、その功績をたたえて駅名を神谷とした。 現在、蒲郡線となっている吉良吉田~蒲郡間も、三河鉄道により敷設され1936年に開通した。1941年の名古屋鉄道合併後も暫く三河線を名乗っていたが、1948年に蒲郡線に改称された。
三河線は知立駅でスイッチバックする線形となっているが、もともと三河線の三河知立駅が知立駅を名乗り、三河知立(三河線上の知立)~重原間は名古屋本線上の現知立駅を通らない直線ルートをとっていた。開業当時は名古屋本線は愛知電気鉄道(愛電)、三河線は三河鉄道と別会社であった。名古屋本線の知立駅は三河線との交差地点上にあり三河線の乗り場と連絡橋で結ばれており、三河鉄道の名鉄合併後は三河線知立駅と名古屋本線牛田駅とを結ぶ連絡線(知立連絡線)が建設された。1959年4月1日に現在の知立駅が開業し、これまでの知立駅は名古屋本線のものが東知立駅、三河線のものが三河知立駅と改称された。同時に三河線も新しい知立駅への新線が開通し、現在の線形となった。貨物列車のため従来の線路も残されたが、貨物列車廃止後は廃線となり、今でも複雑に入り組んだ連絡線の廃線跡の線路がかなり残っている。
- 1912年5月30日 三河鉄道を設立。
- 1914年2月5日 三河鉄道が刈谷新(現在の刈谷)~大浜港(現在の碧南)間を開業。
- 1915年7月10日 新須磨駅開業。
- 1915年8月17日 新川町~新川口間が開業。
- 1915年10月28日 知立(現在の三河知立)~刈谷新(現在の刈谷)間が開業。
- 1915年11月29日 大浜港~大浜口間が開業。
- 1918年4月20日 三河高浜駅開業。
- 1920年7月5日 土橋~知立(現在の三河知立)間が開業。
- 1920年8月31日 上挙母~土橋間が開業。
- 1920年11月1日 挙母(現在の豊田市)~上挙母間が開業。
- 1922年1月17日 越戸~挙母(現在の豊田市)間が開業。
- 1923年4月6日 重原駅開業。
- 1923年10月26日 梅坪駅開業。
- 1924年10月31日 猿投~越戸間が開業。
- 1925年頃 荻原駅を三河荻原駅に改称。
- 1926年2月5日 猿投~大浜港間が電化。
- 1926年9月1日 大浜港~神谷(のちの松木島)間が開業。
- 1927年7月25日 北寺津駅が開業。
- 1927年8月26日 枝下~猿投間が開業。
- 1927年9月17日 三河広瀬~枝下間が開業。
- 1927年10月25日 味浜駅を西一色駅に改称。
- 1927年11月10日 刈谷新駅を移設し刈谷駅に改称。国鉄と共同駅化。
- 1928年1月22日 西中金~三河広瀬間が開業。
- 1928年6月1日 知立連絡線 知立(現在の三河知立)~知立信号所間が開業。
- 1928年8月25日 神谷~三河吉田(現在の吉良吉田)間が開業。
- 1941年6月1日 名古屋鉄道が三河鉄道を合併。西中金~蒲郡間を三河線とする。
- 1941年8月1日 豊橋線新知立(のちの東知立)駅と三河線知立(現在の三河知立)駅を統合し知立駅に改称。
- 1944年 北寺津駅休止。
- 1946年8月1日 大浜口支線 大浜港~大浜口間が廃止。
- 1948年5月16日 三河線を西中金~三河吉田間とし、三河吉田~蒲郡間は蒲郡線に。
- 1949年12月1日 神谷駅を松木島駅に改称。
- 1952年3月1日 刈谷町駅を刈谷市駅に改称。
- 1954年4月1日 大浜港駅を碧南駅に改称。
- 1955年2月1日 新川口支線 新川町~新川口間が廃止。
- 1959年4月1日 名古屋本線に現在の知立駅開業。これまでの知立駅を名古屋本線は東知立駅、三河線は三河知立駅に分離。三河知立~知立~重原間の新線開業。
- 1959年10月1日 挙母駅を豊田市駅に改称。
- 1960年11月1日 三河吉田駅を吉良吉田駅に改称。
- 1969年4月5日 三河楠~寺津間の北寺津駅廃止。
- 1976年4月11日 知立~重原間が複線化。
- 1980年12月14日 刈谷~刈谷市間が複線化。
- 1981年12月14日 新須磨駅を移設し碧南中央駅に改称。
- 1984年1月1日 貨物営業廃止。
- 1984年4月1日 知立連絡線 三河知立~知立信号所間が廃止。
- 1985年3月14日 西中金~猿投間の電気運転を廃止し、レールバスを投入。同区間でワンマン運転開始。
- 1986年10月1日 豊田市~梅坪間が高架複線化。
- 1990年7月1日 碧南~吉良吉田間の電気運転を廃止し、レールバスを投入。同区間でワンマン運転開始。
- 2001年10月1日 猿投~知立間でワンマン運転開始。
- 2003年10月1日 猿投~知立間に共通カードシステムのトランパスを導入。
- 2004年4月1日 西中金~猿投間、碧南~吉良吉田間が廃止。
- 2005年9月14日 重原~碧南間に駅集中管理システムと共通カードシステムのトランパスを導入。
- 2006年4月29日 知立~碧南間でワンマン運転開始。
[編集] 駅一覧
[編集] 営業中の区間
運行されている列車は普通列車のみ。全駅に停車。他線との直通列車も三河線内では全て普通列車として運行。
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 列車交換可能 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
猿投駅 | 0.0 | ○ | 愛知県 | 豊田市 | |
平戸橋駅 | 1.1 | ||||
越戸駅 | 2.2 | ○ | |||
梅坪駅 | 4.2 | 名古屋鉄道:豊田線 | 複線 | ||
豊田市駅 | 5.6 | 愛知環状鉄道:愛知環状鉄道線(新豊田駅) | |||
上挙母駅 | 7.4 | 愛知環状鉄道:愛知環状鉄道線(新上挙母駅:徒歩5分) | ○ | ||
土橋駅 | 10.2 | ○ | |||
竹村駅 | 12.8 | ○ | |||
若林駅 | 15.1 | ○ | |||
三河八橋駅 | 17.5 | ○ | |||
三河知立駅 | 20.6 | ○ | 知立市 | ||
知立駅 | 21.3 | 名古屋鉄道:名古屋本線 | 複線 | ||
重原駅 | 23.5 | ||||
刈谷駅 | 25.2 | 東海旅客鉄道:東海道本線 | 複線 | 刈谷市 | |
刈谷市駅 | 26.8 | ||||
小垣江駅 | 29.4 | ○ | |||
吉浜駅 | 31.4 | 高浜市 | |||
三河高浜駅 | 33.3 | ○ | |||
高浜港駅 | 34.3 | ||||
北新川駅 | 36.1 | ○ | 碧南市 | ||
新川町駅 | 37.1 | ○ | |||
碧南中央駅 | 38.2 | ||||
碧南駅 | 39.8 | ○ |
[編集] 廃止区間
[編集] 未成区間
- 足助駅 - 中切駅 - 西中金駅
[編集] 過去の接続路線
- 上挙母駅:名鉄挙母線 - 1973年3月4日廃止
- 三河平坂駅:名鉄平坂支線 - 1960年3月27日廃止。同線の駅は「平坂口駅」で三河平坂駅から南西約450m、徒歩7分の場所にあった。
- 吉良吉田駅:名鉄蒲郡線・名鉄西尾線