原ひさ子
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原 ひさ子(はら ひさこ、1909年8月6日 - 2005年12月4日)は静岡県静岡市出身の女優。本名は石島 久(いしじま ひさ)。不二高等女学校(現:静岡雙葉高等学校)卒業。旧芸名に原緋紗子、原緋沙子がある。
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[編集] 略歴
女学校卒業後、伯父夫婦の養子となるために上京。1933年に前進座に入座し、以後11年間活動の拠点とする。『石川啄木』の啄木の妻を当たり役とした。この間の1935年に『街の入墨者』で映画初出演。1938年に同じく前進座所属の俳優・石島房太郎と結婚する。
1944年に夫婦揃って東宝の専属となり,戦後は『青い山脈』など数々の映画に出演。1960年俳協に移った後、様々なドラマに出演。近年、テレビのバラエティー番組やコマーシャル、ナレーションで人気者になる。最近の出演映画に『ワンダフル・ライフ』『三文役者』『老親』などがある。1989年には、芸団協 芸能功労者賞を受賞している。
日本の芸能界において最も長いその芸歴は70年以上。彼女は長岡輝子、北林谷栄らと並んで、芸能界最年長女優となっていた。日本最高齢の現役女優としてニューヨーク・タイムスにも写真入りで紹介された。
豊かな個性やさりげない存在感で作品に華を添えていたが、家族と夕食時に心不全で倒れ、2005年12月4日21時32分、東京都内の病院で心不全のため死去。96歳の大往生だった。
[編集] 人物
- 原自身は自分を評して「のんきな性格」と語っている。
- 趣味は俳句や小唄。どちらも60歳を超えてから始めたそうだが、元々文学少女だったとのことなので、文芸に親しむ素養があったともいえる。2000年に上梓した「ばばさまの俳句は日記つれづれに」(アートダイジェスト)が評判となる。
- バラエティー番組「恋愛の家庭教師」にて、司会者のユースケ・サンタマリアや木村佳乃から、恋愛を長続きさせる方法を聞かれた際、”ほほ笑みと 互いを想う 思いやり”と即興で答え、二人や観客から喝采を浴びるなど、作品の質は非常に高いレベルのようだ。
- 2002年10月に『クイズ$ミリオネア』のエキシビションマッチ(その前回に放送された50歳以上の高齢者大会の延長戦)に出演。当時原は93歳で、2006年4月現在までの番組最高齢出場者となっている。「シカトする」の語源を花札の用語という問題に正解するなど、博識ぶりや勘のよさを見せる。最終的には13問目でドロップアウトしたが、司会者であるみのもんたとの終始ほのぼのとしたやり取りが好評だった。
- バラエティー番組(初めて出演したのは小堺一機司会の「ライオンのいただきます」)に出たことで交友関係が広がったと述べている。淡谷のり子は原が自分の母に似ていると言うことで仲良くなり、スタジオでも淡谷が原の手を引いて歩いていたりしたそうだが、実は淡谷の方が年上だったという笑い話も。
- 36歳の誕生日に広島が原爆に被災して以来、自分の誕生日を祝うことはなかった。
[編集] 主な出演作品
[編集] テレビドラマ
- コメットさん(1967年、TBS)
- 時間ですよ(1971年、TBS)
- 太陽にほえろ!(1975年-1978年、日本テレビ)
- ふぞろいの林檎たちII(1985年、TBS)
- ナイン(1987年、フジテレビ)
- 渡る世間は鬼ばかり第1シリーズ(1990年-1991年、TBS)
- 世にも奇妙な物語秋の特別篇「40年」(1991年、フジテレビ)
- ダブル・キッチン(1993年、TBS)
- ひとつ屋根の下(1993年、フジテレビ)
- もしも願いが叶うなら(1994年、TBS)
- もうひとつの家族(1995年、NHK)
- 輝く季節の中で(1995年、フジテレビ)
- ロングバケーション(1996年、フジテレビ)
- 極楽遊園地(1997年、NHK)
- 踊る大捜査線(1997年、フジテレビ)
- オヤジぃ。(2000年、TBS)
[編集] テレビ
- 音効さん(1993年10月~1994年3月 フジテレビ)
[編集] 映画
- 悪魔の手毬唄(1977年)
- 黒い雨(1989年)
- 青春デンデケデケデケ(1992年)
- 河童(1994年)
- 静かな生活(1995年)
- 友子の場合(1996年)
- ワンダフルライフ(1999年)
- 生きたい(1999年)
- 三文役者(2000年)
- サヨナラ COLOR(2005年、竹中直人監督作品、これが遺作となった)
[編集] CM
- 日清食品中華食堂麻婆麺
- 畑田本舗