南朝鮮労働党
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南朝鮮労働党 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 남조선로동당 |
漢字: | 南朝鮮勞働黨 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
みなみちょうせんろうどうとう |
片仮名: (現地語読み仮名): |
ナムチョソンロドンダン |
ラテン文字転写: | |
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南朝鮮労働党(みなみちょうせんろうどうとう)は、朝鮮の共産主義政党。
1946年11月に朝鮮共産党・南朝鮮新民党・朝鮮人民党が合併し、朴憲永(パク・ホニョン)を中心として南朝鮮労働党を結党。しかしアメリカによる南半分の占領および李承晩(イ・スンマン)政権の誕生で共産主義者に対する弾圧が行われ、党の主要メンバーは越北。北朝鮮労働党との合同を打ち出し、1950年4月に両党は正式合併。これが朝鮮労働党の成立となる。
旧党員は、金日成政権下で南労党派として隠然たる勢力を保っていたが、朝鮮戦争終結後に粛清の対象となった。1953年、朴憲永、李承燁など主要構成員13名がアメリカのスパイ、政府転覆の謀議、などの容疑により次々と逮捕され、朴憲永を除く12名が起訴、同年の裁判で李承燁ら10名に死刑、尹淳達に15年刑、李源朝に12年刑が言い渡された。1955年には朴憲永が起訴され、死刑を言い渡され、その後執行された。なお、1953年の裁判で死刑を言い渡されていた被告9名は朴憲永の裁判まで死刑を執行されず、朴憲永の裁判に出廷し、朴憲永に不利な証言を行った。
この事件を契機に南労党派に対して大規模な粛清が行われ、他の南労党派も粛清を受けた。1956年4月の党大会で多くの南労党派が解任されたが、生き残ったものもいる。白南雲、朴文奎、洪命熹、許成沢は処刑を免れ(許成沢は後に粛清される)、監禁されていた朴甲東は釈放された。朴甲東はこれを同年2月のフルシチョフのスターリン批判の影響によると言っている。
[編集] 関連
カテゴリ: 共産党 | 韓国の歴史 | 朝鮮民主主義人民共和国の歴史