北帰行
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北帰行(ほっきこう) は1961年(昭和36年)にヒットした日本の歌謡曲である。歌手小林旭。原歌は、旧制旅順高等学校(旅高)の愛唱歌(広義の寮歌)。
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[編集] 基本データ
歌詞・曲ともに著作権が消滅していないJASRAC管理楽曲であり、利用には注意が必要である。(JASRAC作品コード 077-0199-3)
なお、歌謡曲版と寮歌版とでは、歌詞・曲ともに若干異なる。歌謡曲版の歌詞は3番までだが、寮歌版は5番まで存在する。
[編集] 概要
作者 宇田博は旧制第一高等学校(一高)の受験に失敗、建国大学予科(満州国新京)に入学したが半年で退学となり、昭和15年 (1940年)、開校したばかりの旧制旅順高等学校に入学した。宇田は同校の第一回寮歌 『薫風通ふ春五月』(村岡楽童 作曲)を作詞している。しかし戦時体制下の新設校だった同校に、宇田の望んだバンカラで自由な校風は存在せず、彼は常々生活指導の教官に目を付けられていた。
昭和16年(1941年)5月、宇田はメッチェン(女の子)とデートして戻ったところを教官に見つかり、"性行不良"で退学処分となった。彼が同校への訣別の歌として友人たちに遺した歌が、この 北帰行 である。そのため、同校の正式の寮歌ではないが、広義の寮歌として歌われてきた。宇田はその後 内地に渡り、旧制一高を卒業した。彼は東京大学を経て東京放送 (TBS) に入社し、後に同社の常務・監査役を歴任している。
[編集] 継承
(この項スタブ)
旧制旅順高等学校は、昭和20年(1945年)8月、日本の第二次世界大戦敗戦と共に廃校となった。他の旧制高等学校と異なり後身校は存在せず、寮歌としての歴史はここで終了となった(寮歌祭では、同校同窓生により寮歌の一つとして歌われ続けている)。一方で、この歌は戦後、歌声喫茶で作者不詳の歌として流行した。恐らく、作者の卒業した一高・東大あたりから歌声喫茶に広まったものと思われるが、詳らかでない。
昭和36年(1961年)、この歌は日本コロムビアのプロデューサや小林旭に見い出され、同社からレコード化されて大ヒットした。(この際 作者捜しが行われ、当時TBS社員だった宇田の名乗り出 および 旅順高校時代の友人が持っていたメモから、作者が確定したという。)歌のヒットにより、小林が主演する映画 『渡り鳥シリーズ』(日活)の昭和37年(1962年)正月封切り版『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』の主題歌となった。
[編集] 関連項目
[編集] 書籍
(この項スタブ)
- 尾崎良江 『平成の愛唱寮歌八十曲選』 国書刊行会、1997年11月。ISBN 4336040443
- 宇田博 『大連・旅順はいま』 六法出版社、1992年11月。ISBN 4897702747
- 自伝的ノンフィクション。「北帰行」が生まれた経緯を詳細に記している。
[編集] 外部リンク
- 二木絋三のMIDI歌声喫茶
- 「北帰行」の項に、両バージョンの歌詞やエピソードが掲載されている。