写真週刊誌
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写真週刊誌(しゃしんしゅうかんし)とは、雑誌のほぼ全ての記事を写真中心に構成するスタイルの週刊誌。
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[編集] 概要
1981年に新潮社から「FOCUS」が創刊されたのが第一号。写真を中心に押し出したスタイルが一般に受けて成功を収めた。「FOCUS」の成功を受けて1984年~1986年に大手出版社が写真週刊誌に新規参入し、最盛時には5誌が発行されていた。
写真を中心に押し出した写真週刊誌のスタイルは、1980年代に於ける日本のフォトジャーナリズム、特にスポーツ新聞の紙面構成に大きな影響を与えた。しかし激しいスクープ合戦は、時に脱法行為による撮影や、取材対象者のプライバシー侵害などの問題を引き起こし、非難の対象ともなったこともある。
従来の週刊誌にはない過激な記事の取り扱いから急速に発行部数を伸ばしたが、そのあざとい内容が1980年代末に前後して、急速に読者に飽きられるなど実売部数は低迷したことと、加えて発行する社内ライバルである既存の週刊誌側も同様の手法を取り入れたことから、ブームは一気に縮小し、新規参入の「TOUCH」、「Emma」や、第一号の「FOCUS」も休廃刊に追い込まれた。
2006年時点では、講談社の「FRIDAY」と光文社の「FLASH」の2誌のみが発行されている。
[編集] 代表的な写真週刊誌
[編集] 歴史
- 1981年 「FOCUS」創刊
- 1983年 「スクランブルPHOTO」創刊も間もなく廃刊
- 1984年 「FRIDAY」創刊(「FF」時代の幕開け)
- 1985年 「Emma」月2回刊で創刊(「FFE」時代に)
- 1986年 「Emma」週刊化、「TOUCH」「FLASH」創刊(「3FET」時代突入)。ビートたけしとたけし軍団「FRIDAY」編集部に殴りこみ(フライデー襲撃事件)
- 1987年 「Emma」廃刊
- 1989年 「TOUCH」廃刊(「3F」時代へ)
- 2001年 「FOCUS」休刊
[編集] 推移概要
写真週刊誌は、バブル景気とほぼ並走する形で時代を駆け抜けていったと述べても過言ではない。ブームを興して全盛期を迎え、ブームの衰退と共に姿を消し、あるいは細々と存続されている。
[編集] 発刊以前
写真週刊誌が発達する以前の写真を主体として構成された雑誌としては、「アサヒグラフ」や「毎日グラフ」(いずれも休廃刊)などのような新聞社の編集する月刊誌が存在していた。しかし内容は一般の新聞に準じて堅いもので、報道カメラマンの手による写真が主であり、これに新聞社の記者が手掛けた記事が付き、手軽に読めるものではなかった。
新聞社の指向から社会的な記事が多く、ベトナム戦争の頃には、現地で取材した、生々しい「戦争の悲劇」を伝えるような、極めて硬派な内容であった。主に新聞紙の限られた紙面では伝えきれない事柄を、特集する形で掘り下げて取り扱っていた。
[編集] 登場初期
芸能誌や娯楽誌も発行している出版社が出し始めた発刊当初の写真週刊誌は、社会風俗や芸能関係を取り上げる芸能誌や娯楽誌の延長としての傾向があり、その内容もやや砕けたもので、芸能専門の報道カメラマンが撮影しながら、特に記事が付かないような「芸能人の日常」や、報道方面では様々な事件・事故・出来事・社会現象の写真を掲載した。
この中には休日の芸能人の素の姿や、本来なら表に出ないマスメディア作品制作の裏側といったものや、大きな社会問題として話題となった事件・事故の現場や、その発生当時の写真を取り上げる一方で、動物関係の微笑ましい話題や、世相に絡む社会事象も取り上げるなど、幅広い内容を掲載していた。
これらは、大衆の芸能人に対する健全な興味の延長として、あるいは活字離れが進んだ世代にも判り易い内容の雑誌として受け入れられ、発行部数を急速に伸ばしていった。
[編集] 過渡期と競争の過熱
当初こそは、芸能人の写真は掲載に際して芸能事務所と連絡しあうなど、一応の報道倫理に則った形で運営されていたこれらの写真週刊誌だが、FF時代に突入すると、盗撮まがいの「お宝写真」と称するものや、あるいは交際関係などプライバシーに関わる写真がしばしば掲載され、それこそ芸能人自身は元より、事務所側も写真掲載を拒絶するような事件が続発している。この過熱報道により、出版元が芸能事務所から訴えられるケースも増加して、芸能界と写真週刊誌との断絶が起こった。
- なお写真週刊誌の過熱報道に関連し、ビートたけしがFRIDAY編集部に殴りこんで逮捕されたり(フライデー襲撃事件)、伊丹十三が写真週刊誌を批難する遺書を残して自殺(ただし「自殺」とするには様々な疑惑も残る)するという事件も起こっている。このほか、自殺した芸能人の痛ましい写真を掲載、かつてのファンから故人の冒涜だと批難されたケースもある(→岡田有希子)。
FF時代~3FET時代には、写真週刊誌発行編集部同士の競争意識から、俗に「追っかけ」と呼ばれる芸能人の活動に全国各地、果ては海外にまで行ってしまうようなマニア(ないしアイドルおたく)といったアマチュアが撮影した写真の持ち込みを買い取ったり、更にはプロカメラマン崩れや探偵の副業的な「一発屋(→パパラッチ)」と呼ばれる、写真週刊誌にえげつない写真を売り込んで生計を立てる業態まで発生した。
[編集] 過当競争時代
旧来では「社会の公器」としての報道の一翼にあると自負していた写真週刊誌だが、この3FET時代においては「報道なんだから、多少の逸脱行為も構わなかろう」という暴走状態に発展、まだ捜査途上で検分の終わっていない事件現場に入り込んで証拠品を荒らしたり、被害者の心情に配慮しない報道合戦を起こしたり、あるいはでっち上げ記事(→やらせ)を掲載する、またストーカー紛いの一発屋が跋扈するまでになった。
この時期に至ると、写真週刊誌関係者の意識は、「芸能人は致命的スキャンダルを晒させてナンボ」や、「事件・事故の写真は遺体が写っててナンボ」という、より発行部数増大のための刺激を求める状況となり、一般の大衆にとっては不快感を催しかねない内容に終始し、3F時代突入の頃に前後して、次第に読者層が見限るようになってしまっていった。これらでは、「報道のためなら人権すら無視する」という姿勢が、読者にも嫌われた部分に挙げられる。
[編集] ブーム終焉~現在
こうしてバブル景気の終わりと前後して、写真週刊誌の多くも廃刊ないし休刊し、2006年現在では一部が細々と継続されているに過ぎない。しかしそれでも2005年3月/4月に、松本人志が「ポルノビデオショップで恥ずかしいビデオを購入している所」の監視カメラ映像を掲載され、「(本来は犯罪抑止のための)防犯カメラ映像を流用して掲載するとは何事か」と激怒、訴訟を起こしている(2006年3月に訴えが認められ、原告勝訴)。最盛期に比べて、多少はあざとい内容を避けるようにはなっているとはいえ、その倫理意識は相変わらず…の模様だ。
[編集] その他の関連する現象
- 流行当時や大きな事件発生時に、しばしば常識から逸脱して取材する事も多い写真週刊誌が、不謹慎ゲームの形で揶揄されるケースが見られる。これらでは、「被害者の心情を踏み躙る取材をするほどに高得点が出る」というタイプのものが多い。