光化門
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光化門 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 광화문 |
漢字: | 光化門 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
こうかもん |
片仮名: (現地語読み仮名): |
クァンファムン |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
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光化門(クァンファムン)は、韓国ソウル特別市鍾路区にある、王宮の城門の遺構である。
[編集] 沿革
李成桂による漢陽遷都の際に、景福宮の正門として建設された。その後豊臣秀吉の朝鮮出兵の騒乱で焼失した。しかし、19世紀に大院君が民衆を徴発し再建させた。
1910年の日韓併合の際には朝鮮総督府がこの門の取り壊しを検討したが、日本の白樺派の美学者柳宗悦らの働きかけで保存されることになった。
その後、1950年の朝鮮戦争で焼失。朴正煕大統領の時の1972年に鉄筋コンクリートで再建され、今にいたる。
この門はソウル市の象徴的建造物としてしばしば紹介される。
[編集] 付け替え工事
門の扁額は朴正熙大統領の揮毫でハングルで「クァンファムン」と書かれていたが、市民から「違和感がある」との声があがり、李氏朝鮮の英祖王の筆跡から漢字の扁額を作って、付け替えるという。
2006年12月4日、韓国政府文化財庁は朝鮮総督府建設に伴って移設された現在の光化門を取り壊し、景福宮が改築された当時の位置に改めて建設することを発表、即日解体工事に入った。新しい光化門は2009年末に完成予定で、現在地より南に14.5mの位置に移動する。
前2件に関して、朴政権を否定したい現政権の意向の現れだと一部マスコミでは報じられている。