美学
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美学(びがく)あるいは感性学は、美や芸術あるいは趣味の問題を哲学的に扱う学問である。伝統的美学は、美とは何か(美の本質)、どのようなものが美しいのか(美の基準)、美は何のためにあるのか(美の価値)といった問題に取り組んできた。いわば美の形而上学ともいえよう。審美学という訳語は旧称であるが、その提唱者は森鴎外である。広義の美学は道徳的な美や自然の美を含むが、芸術の哲学とされることも多い。今日では美の概念そのものを問うより、個別の美的経験・芸術領域・芸術と他の人間活動との関係を追求する研究が主流である。
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[編集] 名称
ドイツの哲学者アレクサンダー・バウムガルテンが1750年に『美学』 (Aesthetica) を出版したことが、哲学の一領域として定式化される一つの契機であった。さらに正確に言えば、その最初の著作『詩についての哲学的省察』のなかで、詩の美学的価値の原理的考察を思考する学として、aestheticaなる学が予告せられていたのである。
このaestheticaなるラテン語は、ギリシア語aisthesisの形容詞aisthtikeのラテン語化であり、「感性的なるもの」という語義と、ギリシア語での慣例である学問epistemeが省略された形のラテン語化=「感性学」という語義とを持つ語であった。
バウムガルテンの諸著でも曖昧であるが、遅くとも『美学』以降明らかに後者の「感性的認識論scientia cognitionis sensitivae」の意で用いている。
しかるにバウムガルテンは「美は感性的認識の完全性である」(『美学』14節)とするのだから、感性的認識論が「美について考察する学ars pulcre cogitandi」(同1節)であり、「完全な感性的言語oratio sensitiva perfecta」=詩を典型とする芸術一般は美にかかわるから、aestheticaは「芸術理論theoria artium liberalium」(同1節)である。
すなわちバウムガルテンにおいて美や芸術に関する学的考察は感性的認識論であり、かれの体系では下位認識論として理性的認識論と比べれば「疑似理性の学ars analogi rationis」であり、「劣等認識論gnoseologia inferior」(同1節)であった。
[編集] 歴史
その淵源はプラトンにまで遡る。イマヌエル・カントの『判断力批判』、シェリングの『芸術の哲学』講義、ヘーゲルの『美学』講義などを経て、フィードラーの「上からの美学」批判を受け、現代に至る。現代美学において特筆すべきは、・実存主義・分析哲学・ポスト構造主義によるアプローチであろう。
[編集] バウムガルテンの「美学」
バウムガルテン(A.G.Baumgarten,1714-62)は、ライプニッツ・ヴォルフ学派の系統に属す。「美学」(aesthetics/英)という学問の名称は、彼が、「感性」を表すギリシャ語から作ったラテン語の造語「Aesthetica」に由来する。彼はフランクフルト大学で1742年からこの「美学」の講義を始め、その後も再度の講義要請があったことから、もとの講義内容に若干の加筆修正を行い、これをラテン語で出版した。『美学(Aesthetica)』第1巻は1750年、更に第2巻が1758年に出版された。
■引用
美学(自由学芸の理論、下級認識論、美しく思いをなす技術、理性類似物の技術)は、感性的認識学の学である。(第1節)
美学の目的は、感性的認識そのものの完全性にある。然るに、この完全性とは美である。そして、感性的認識そのものの不完全性は避けられねばならず、この不完全性は醜である。(第14節)
●美学の出発点は、知性的認識の学としての論理学を感性的認識の学で補完することにあった。
[編集] 日本の美学
日本語の「美学」は、中江兆民がVeronの著作を訳して『維氏美学』と邦題を付けたことによる。日本の高等教育機関における美学教育の嚆矢は東京美術学校および東京大学におけるフェノロサのヘーゲル美学を中心とした講義、森林太郎(森鴎外)による東京大学におけるE. V. ハルトマン美学ら当時の同時代ドイツ美学についての講演、およびラファエル・フォン・ケーベル(ケーベル先生の呼称で知られる)による東京大学での美学講義である。また京都においては京都工芸学校においてデザイン教育を中心とする西洋美学および美術史の教育がなされた。なお東京大学は独立の一講座として大塚保治を教授に任命、美学講座を開いた世界で最初(1899年)の大学である。
日本における主要な美学関連学会としては美学会があり、雑誌『美学』(年四回)および欧文誌 Aesthetics (隔年)を発行している。毎年十月に行われる全国大会のほか、年五回関東および関西で研究発表会が開催される。なお2001年の国際美学会議(4年おき開催)は日本で行われた。
[編集] 日本の美意識
近代以前の日本には、西洋のような一貫した形での思索の集大成としての「美学」はない。しかし、いき、わびなどの個別の美意識は、古くから存在しており、また茶道や日本建築、伝統工芸品などを通して、さまざまな形で実践されてきた。また、歌論、能楽論、画論などの個別の分野での業績はあるものの、孤立した天才の偉業という色彩が濃く、一枚岩の美学ではない。これらの美意識は、自然と密接に関連しているが、西洋美学は、近代以前はもっぱら「人間」を中心に据えた「芸術」のために発展した。そのため、日本の美意識は、西洋美学の視点からは、十分に記述・説明することができない。近代以前の日本の事物について、「芸術」という視点を持つ美学から論じると、学問的文脈を無視した議論となり、慎重を期すべきである。日本人自身も、日本の美意識を、明快に定義・説明することが困難であるのが現状である。今後、複数の視点を生かした研究が待たれる。
[編集] おもなトピック一覧
[編集] 『古今和歌集』仮名序 紀貫之
紀貫之は、和歌が純粋な心の結実であることを明らかにした。(「やまち歌はひとつ心を種としてよろずの言の葉とぞなれりける」) そして和歌が天地開闢の時から出来したと述べ、和歌に結集する芸術は、生きとし生けるものの生の表現が人間にあってその精華を開花させたものであるとした。
[編集] 歌論
[編集] 世阿弥の演劇論
[編集] 本居宣長
[編集] 岡倉天心
[編集] 大西克礼
[編集] 関連項目
- 美術史
- 哲学
- 批評
- 詩学
- 芸術学 (Kunstwissenschaft)
- カルチュラル・スタディーズ (cultural studies)
- 想像力、構想力、制度論
- エロス
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