信貴山城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
信貴山城(しぎさんじょう)は、奈良県生駒郡にあった木沢氏・松永氏の居城となった山城。
目次 |
[編集] 概要
大和国と河内国の国境にある生駒山系に属する信貴山(標高433m)山上に築かれた。信貴山は大和国と河内国を結ぶ要衝の地で、松永久秀は山上に南北700m、東西550mに渡る巨大な城郭を築いて、大和国経略の拠点とした。
信貴山中腹には、毘沙門天を本尊とする信貴山真言宗の本山である朝護孫子寺がある。この寺は、聖徳太子が物部守屋討伐の戦勝祈願をした事に由来する。
[編集] 歴史
- 1536年(天文5年)、河内国守護職畠山氏の被官、木沢長政によって築城される。
- 1542年(天文11年)、木沢長政が河内太平寺の戦いで討ち死にする。
- 1559年(永禄2年)、三好氏の被官、松永久秀によって修復・改修される。
- 1560年(永禄3年)、松永久秀、信貴山城に四階櫓を設ける。
- 1562年(永禄5年)、松永久秀、大和国北部に多聞山城を築いて、居城を移す。
- 1568年(永禄11年)、三好三人衆方の三好笑岩入道に攻められ、一度は落城するも織田信長の上洛に応じ、これを奪還した。
- 1577年(天正5年)、織田信長に攻められ松永氏滅亡、信貴山城は廃城となる。
[編集] 周辺
[編集] アクセス
[編集] 関連項目
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 日本の城 | 奈良県の歴史