佐竹義舜
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佐竹 義舜(さたけ よしきよ、1470年(文明2年) - 1517年4月3日(永正14年3月13日))は、日本の戦国時代の武将で、常陸国の戦国大名佐竹氏の第15代当主。第14代当主・佐竹義治の子。佐竹政義(東家)・佐竹義信(北家)の兄。佐竹義篤・佐竹義元・佐竹義里(南家)は子。妻は岩城親隆の娘。
「佐竹氏中興の祖」。父・義治の後を受けて当主となる。1490年、山入義藤・山入氏義父子に裏切られて居城の常陸太田城を奪われ、家臣の大山氏を頼り孫根・金砂山などを転々としたが、1504年に岩城常隆の支援を背景にしてこれを奪回し、1506年までに反逆した山入一族を滅ぼした。その後は白河結城氏と争って領土を拡大する一方、領内の支配体制を確立して佐竹氏の戦国大名化に務めた。1517年、48歳で死去し、後を子の佐竹義篤が継いだ。