伊曽乃神社
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伊曽乃神社 | |
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拝殿 |
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所在地 | 愛媛県西条市中野甲1649 |
位置 | -- |
主祭神 | 天照大神・武国凝別命 |
社格等 | 式内社(名神大)・国幣中社・別表神社 |
創建 | 伝成務天皇28年(158年) |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 10月15日・16日 |
主な神事 | -- |
伊曽乃神社(いそのじんじゃ)は愛媛県西条市中野に鎮座する神社である。「磯野」と表記されることもある(『三代実録』等)。延喜式神名帳では名神大社に列し、旧社格は国幣中社である。現在は神社本庁の別表神社。神紋は御所車。
目次 |
[編集] 祭神
天照大神の荒魂と武国凝別命。ただし、国幣中社昇格の際には「伊曽乃神(いそののかみ)」とされた。
[編集] 由緒
社伝によれば、伊予御村別の祖・武国凝別命(景行天皇の皇子)が東予地方を開拓するにあたり、皇祖神である天照大神を祀ったことに始まるという。
天平神護元年(765年)神戸10烟を充てられ、翌天平神護2年(766年)従四位下を授かるとともに神戸5烟を加えられた。永治元年(1141年)正一位に叙され、崇徳天皇より勅額を賜る。
天正13年(1585年)には豊臣秀吉の四国征伐により社殿・社宝等兵火にかかって一切焼失し、難を避けて土佐国へ遷座。慶長11年(1606年)旧地に復座する。
近代社格制度の発足に際しては、祭神不詳として官社の認可を受けられず、伊予国第一県社とされる。昭和15年(1940年)長年の昇格運動が実り、国幣中社に昇格した。
[編集] 伝承
地元の伝説によれば、その昔、伊曽乃の女神と石鎚山の男神が加茂川の畔で出会った。二人は恋仲となり、女神は結婚を迫った。しかし男神は、石鎚山で修行を続けなければならないために結婚はできないと断った。しかも石鎚山上は女人禁制のため、同行は許されない。「修行を終えれば結婚するのでそれまで待ってほしい。山頂から三つの大石を投げるので、真ん中の石が落ちた所に館を造って待つように」と言い残して山へ登った。間もなく、石鎚山から三つの石が飛んできたので、真ん中の石が落ちたところに営まれたのが伊曽乃神社だという。
現在、伊曽乃神社の一の鳥居の脇には、石鎚の神の投げ石と伝えられる石が残っている。
[編集] 文化財
与州新居系図(国指定重要文化財)
[編集] 例大祭
西条祭りは、旧西条市内に鎮座する嘉母神社・石岡神社・伊曽乃神社・飯積神社の秋祭りの総称であるが、狭義には伊曽乃神社の大祭を指すことが多い。
だんじり(山車の一種)77台、御輿(太鼓台の一種。神輿とは違う)4台が奉納され、一つの神社に奉納される山車の数としては全国最多ともいわれ他の地方に例を見ない大規模なものである。