仙波隆綱
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仙波 隆綱(せんば たかつな、1962年 - )は、日本のアニメーター、ゲームクリエイター、イラストレーター。
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[編集] 来歴
[編集] アニメーター
初期はスタジオZ5の本橋秀之に師事。後にフリーとなり、TVアニメなどの原画を手がける。『ホワッツマイケル』では演出まで手がけた。
アニメーター時代を代表する仕事は、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』。仙波は抑揚の効いたモビルスーツの挙動や、文字通り粒子感あふれるメガ粒子などを描き、これらはアニメファンから高い評価を得た。しかしながら本作の作画監督が連名であったこと、そしてほどなくアニメーターを引退してしまったことから、その功績に比して仙波自身の知名度は非常に低い。
[編集] ゲームクリエイター
その後の仙波はタイトーへ入社、多くのアーケードゲーム開発に携わる。そこでもアニメーター時代の経験が活かされる。
初担当作品である『ダライアスII』では、「核トーチカ」を破壊することによって画面中の敵を一掃することができるスペシャル核攻撃が登場した。これは『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』における核の応酬に着想を得たものと思われるが、後年「やりすぎだった」と反省の言葉を残す。
やがて、自らプロデュースからデザイン・演出までを手がけるプロジェクトガンフロンティア三部作を開発する。三部作といってもそれぞれの作品に直接のつながりはなく、それまでのアーケードゲームに見られなかった演出重視のゲームを開発するといった意味合いである。一作目のガンフロンティアはゲーム本編とは無関係とも思える細かな演出で西部劇風の世界観(麦畑を撫でる風や、映画館)を表現した上、全ての登場兵器のモチーフを銃に統一するという徹底的なこだわりを見せた。美しいグラフィックスが目を引くだけでなく、後に弾幕系シューティングと呼ばれる作品群の先駆けというべき過激な敵攻撃のデザインが施されていた。とはいえ後年の弾幕系シューティングとは違い、オーソドックスで保守的なゲーム内容で極端にプレイヤーを選ぶ作品ではなかった。
二作目の『メタルブラック』も、グラフィックスやレイアウトの完成度が高いだけに終わらず、人類がほぼ絶滅した地球などの強烈な世界描写(砂漠化した高層街に突き刺さる船舶や地球破壊)によりカルト的な人気を集めた。ただしゲームデザインは凡作あるいはそれ以下ともいわれており、プレイヤーによって評価が真っ二つに分かれる作品でもある。
話題に上った前二作に比べ、『ダイノレックス』は稼働台数が少なく知名度も低かった。後年は恐竜をモチーフにしたゲームを複数リリースするタイトーであったが、時代を先取りしすぎたとも考えられる。
開発現場から退いてからは、開発者の教育や開発機材の管理などを任された後、タイトーを退社する。
[編集] コミック版メタルブラック
[編集] イラストレーター
[編集] 主な作品
[編集] アニメ
- 銀河探査2100年 ボーダープラネット(原画)
- ホワッツマイケル TV版(演出・絵コンテ)
- 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(作画監督)
- NITABOH 仁太坊―津軽三味線始祖外聞(作画監督補)
[編集] ゲーム
- ダライアスII(グラフィックス、演出補)
- MJ-12(グラフィックス、演出補)
- プロジェクトガンフロンティア(プロデューサー、ディレクター、ゲームデザイナー、演出、グラフィックス)
- ガンフロンティア
- メタルブラック
- ダイノレックス
- レイフォース(協力)
[編集] イラスト・デザイン等
- 漫画 - メタルブラック
- CD - METAL BLACK - the first -(イラスト、ストーリー解説)
[編集] 外部リンク
- T-1008 STUDIO 本人サイト。過去の作品紹介や、イラスト作品の通販など。
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