京成金町線
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金町線(かなまちせん)は、京成高砂駅と京成金町駅を結ぶ、京成電鉄の鉄道路線。全線が東京都葛飾区内を走行する。
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[編集] 路線データ
- 路線距離:2.5km
- 軌間:1435mm
- 駅数:3駅(起終点駅含む)
- 複線区間:京成高砂駅~柴又駅
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 保安装置:京成電鉄・新京成電鉄・北総鉄道・京浜急行電鉄・芝山鉄道・都営地下鉄浅草線で使用されている1号型ATS。C-ATSに更新予定。
[編集] 運行形態
運行種別は普通(各駅停車)のみ。多くは金町線内で折り返し運行を行なっているが、朝夕を中心に本線京成上野駅や押上線押上駅まで乗り入れも行なう(その際の種別は全区間普通である)。日中はほぼ20分間隔で運行されている。線内の京成金町駅の構内有効長が短くホーム延伸が不可能なことから全ての列車が4両編成の車両を使用している(柴又駅は6両対応)。
現在他社線乗り入れはないが、1987年から1998年までの大晦日の終夜運転時に限り、京急線からの普通列車が都営地下鉄浅草線・押上線を経由して京成金町まで直通運転をしていた。長期に亘り運転をしていながら「金町」の方向幕を用意せずサボを先頭車に貼り付けていた。
金町線では、毎年1月の正月三が日と、7月の「葛飾納涼花火大会」で臨時列車を運転し、前者は日中10分間隔、後者は夜間10分間隔に増発されるのが恒例となっている(いずれも通常は20分間隔)。
なお、2010年に予定されている成田新高速鉄道開業に伴う踏切遮断時間増加防止策として、本線高架化を待たずに金町線のみ高砂駅付近を高架化する計画が、2006年12月に京成電鉄から発表された。これが完成すると、金町線は線内折り返し列車を主体とした運行形態になるものと見られている。
[編集] 運行車両
1999年2月中旬~8月上旬、3600形3668編成が中間の3608-3601号車を抜いた4連で入線した。
[編集] 歴史
京成金町線の起源は、柴又~金町間で人が車両を押して動かす人車軌道を運行していた帝釈人車鉄道である。1897年に日本鉄道により金町駅が開業し柴又帝釈天への参詣者が増加した。その交通の便を図ろうと1899年に帝釈人車鉄道が設立され、その年の内に柴又~金町間で営業を開始した。線路は全線複線で、折り返しのため柴又駅・金町駅の終端部はループ線になっていた。客車は1両6人乗りで64両あり、通常1人で押していたという。1907年には帝釈人車軌道と社名を改めた。
1909年、成田山や柴又帝釈天の参詣客輸送を目的に、京成電気軌道(現在の京成電鉄)が設立された。京成電気軌道は、帝釈天を通り金町への路線を計画していたが、ルートが重なる帝釈人車軌道では軌道特許を京成電気軌道へ譲渡することに決め、1912年に軌道特許を譲渡した。
同年、京成電気軌道は後に押上線・本線の一部となる押上~伊予田(現在の江戸川)間と、支線として曲金(現在の京成高砂)~柴又間を開業させた。翌1913年には柴又~金町間の人車の運行を終了し、単線電化で柴又~金町間を延伸して電車の運行を開始した。
- 1899年12月17日 帝釈人車鉄道(1907年から帝釈人車軌道)柴又~金町間開業。軌間610mm。
- 1912年4月27日 帝釈人車軌道が京成電気軌道(1945年から京成電鉄)に柴又~金町間の軌道特許を譲渡。
- 1912年9月24日 京成電気軌道が帝釈人車軌道を合併。
- 1912年11月3日 曲金~柴又間開業。当初より電化、軌間1372mm。
- 1913年6月26日 曲金駅を高砂駅に改称。
- 1913年10月21日 元・帝釈人車軌道の軌道が改築され、柴又~金町間開業。
- 1931年11月18日 高砂駅を京成高砂駅、金町駅を京成金町駅に改称。
- 1945年2月20日 全線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。
- 1959年11月17日 全線を軌間1435mmに改軌。
- 1990年8月 車両完全冷房化。
[編集] 駅一覧
[編集] 接続路線
[編集] 参考文献
- 白土貞夫「帝釈人車軌道 客車に関するノート」
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2004年12月号 No.755 p74~p79、p104
- 池口英司「大手私鉄のローカル線めぐり2 京成電鉄金町線 京成高砂-京成金町」
- 交友社『鉄道ファン』2005年5月号 No.529 p135~139