久保純子
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久保 純子(くぼ じゅんこ、1972年1月24日 - )は、平成期(1990年代後半-2000年代前半)の元NHKアナウンサー。本名は清重純子(きよしげ・じゅんこ、旧姓:久保)。愛称は「クボジュン」。
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[編集] 来歴・人物
父、母ともに、元日本テレビアナウンサー。小学校4年間を英国、高校3年間を米国で過ごした帰国子女。東京都立調布北高等学校入学後、ニューヨークパイオニア・セントラル高校→慶應義塾大学文学部英米文学科卒。1994年、NHK入局。大阪放送局でデビュー。2年後の1996年に東京アナウンス室へ異動となる。NHK初のアイドルアナウンサーとして、受信料制度周知キャンペーンなどに起用された。
育児休暇を挟んで2002年から契約職員として復帰。1児の母である。2004年3月31日の契約満了を以ってフリーに転向した。
趣味はスキューバダイビング。
[編集] NHKアナウンサー時代の出演番組
- 「NHKニュース11」・「NHKニュースおはよう日本」スポーツコーナー担当
- 「ポップジャム」司会
- 「連続テレビ小説・私の青空」ナレーター
- 「プロジェクトX~挑戦者たち~」司会
- 「お宝映像クイズ 見ればナットク!」司会
- 「地球!ふしぎ大自然」ナレーター(武内陶子・松本和也両アナウンサーとのローテーション)
- 「NHK紅白歌合戦」紅組司会(1998年度・1999年度・2000年度)
- 「夢見るタマゴ!熱血浜田塾 若き卵たち」
- 「てれび絵本・ハリネズミのくるりん」(朗読 2003年以後にリニューアル後、NHK所属アナウンサーが朗読したのはこれが現状唯一)
[編集] フリー転向後の主な出演番組など
- 初めのうちは民放局と専属契約を結び、軌道に乗ったら完全フリーに、という傾向が多いNHK出身フリーアナにしては珍しく、最初からフリーで活動している。
- フリー転向後の最初の出演は、服飾デザイナーで演出家・山本寛斎がプロデュースしたミュージカル「アボルダージュ~接舷攻撃~」(2004年7月日本武道館)で、女優業に初めて挑戦したという。
- アテネオリンピックのTBSテレビ系中継の進行役で民放テレビ番組初出演。(お相手はSMAPの中居正広)
- 2004年10月9日から、TBS系報道情報番組「ブロードキャスター」(土曜日/22:00~23:24)に、三雲孝江の後任として出演。この他、TBSで2004年10月3日からスタートの子供向け教育番組「クボジュンのえいごっこ」(日曜日/5:45~6:00)ではメイン司会を務めた(同名の著書書籍が2005年にリリースされた)。
- 2005年には日本テレビ系「ザ!情報ツウ」のと~く!ツウコーナーにゲスト出演。父・晴生撮影によるプライベート映像や、本人撮影による母親が開いている英語教室の様子などが紹介された。
- 2006年1月より文化放送「久保純子のライオンミュージックサタデー」のパーソナリティを務める。ラジオ出演はNHKの新人時代(大阪放送局にて)以来とのこと。
- 民放キー局ではフジテレビとテレビ東京の番組にはまだ出演したことがない。
- コマーシャル出演
[編集] その他
- 実父は元日本テレビアナウンサー・日本テレビアナウンスカレッジ初代学長の久保晴生。
- 夫の清重和弘は慶應大学時代の同級生であり、現在電通勤務。
- 私生活では中学生の頃に同じ塾で、席が隣同士になったのがきっかけになり、フリーアナウンサーの木佐彩子(元フジテレビアナウンサー、現:東京ヤクルトスワローズの石井一久の夫人)と大親友になった。
- フリーになってから読売新聞にて「原稿をとちったり、上手く読めないのも自分の個性です」と発言している。
- 2006年11月26日の朝日新聞の朝刊で、幼少期、イギリスで人種差別的ないじめをうけていたことを告白した。
[編集] 著書
- 2004年、初のエッセイ集「なな転び八起き」(グラフ社刊)を執筆。(デイリースポーツによる紹介記事)
- 久保純子のニューヨーク街歩き
[編集] 外部リンク
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