中村天風
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中村 天風(なかむら てんぷう 1876年7月20日-1968年12月1日)は日本初のヨガ行者。天風会を創始し、心身統一法を広める。
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[編集] 来歴
1876年中村天風(本名三郎)は大蔵省初代抄紙局長の中村祐興の息子として現東京都北区王子で出生。
- 父祐興は旧柳川藩士で、中村家は柳川藩藩主である立花家と遠縁にあたる。
- 王子村(現北区王子)や本郷で幼少を過ごした後、福岡市の親戚の家に預けられ、福岡屈指の名門校、修猷館中学(現修猷館高校)に入学。
- 幼少期より官舎の近くに住んでいた英国人に語学を習い、修猷館ではオール英語の授業を行っていたため語学に堪能になる。
- 柔道部のエースとして文武両道の活躍をするが、練習試合に惨敗した熊本済々黌生に闇討ちされ、その復讐を行う過程で相手を刺殺、修猷館を退学になる。その頃、玄洋社の頭山満の知遇を得る。
16歳の時に頭山満の紹介で陸軍の軍事探偵(特殊工作員)となり、満州へ赴く。
- 明治37年3月21日コサック兵にとらわれた三郎は銃殺刑に処せられるところであったが、ギリギリの瞬間に部下に救出された。
- 113名いた軍事探偵のうち日露戦争から生還したわずか9名のうちの一人。
- 33歳の時、病気のために弱くなった心を強くする方法を求め、アメリカへ密航する。途中アメリカでは自らの病の原因を尋ねてコロンビア大学で自律神経系の研究を行ったとされる。
- イギリスに渡った後、フランスでは大女優サラ・ベルナールの家に居候し、各界の著名人に会う機会を得るが、いずれも納得の行く答えを得ることができなかった。
1911年日本への帰国の途上、カイロにてインドのヨガの聖人、カリアッパ師と邂逅。
1913年日本へ帰国途上、中国で孫文の第二次辛亥革命に「中華民国最高顧問」として協力。その謝礼として財産を得た。東京実業貯蔵銀行頭取などを歴任、実業界で活躍する。
1919年突然感じるところがあり、一切の社会的身分、財産を処分し、「統一哲医学会」を創設。街頭にて教えを説き始める。
- 政財界の実力者が数多く入会するようになり、会は発展していく。
1940年「統一哲医学会」を「天風会」に改称。
1962年国の認可により「財団法人天風会」となる。
1968年12月1日帰霊。享年92。
[編集] 主な著書
- 真人生の探求(財団法人天風会)1947年
- 研心抄(財団法人天風会)1948年
- 錬身抄(財団法人天風会)1949年
- 成功の実現(日本経営合理化協会)ISBN 493083855X
- 盛大な人生(日本経営合理化協会)ISBN 4930838592
- 心に成功の炎を(日本経営合理化協会)ISBN 4930838800
- 運命を拓く(講談社文庫) ISBN 4062637391
- 哲人哲語(財団法人天風会)
- 安定打坐考抄(財団法人天風会)
- 叡智のひびき-天風哲人箴言註釈 (講談社)ISBN 4062082632
- 真理のひびき-天風哲人新箴言註釈 (講談社) ISBN 4062076950
- いつまでも若々しく生きる(日本経営合理化協会)ISBN 4930838975
- 君に成功を贈る(日本経営合理化協会)ISBN 4891010207
[編集] 外部リンク
- 財団法人天風会 公式ページ
[編集] 天風会館
東京メトロ護国寺駅2番「天風会館」出口より直結