中原俊
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中原 俊(なかはら しゅん、1951年5月25日 - )は、鹿児島市中牟田町出身の映画監督である。本名は、中原 俊弘(- としひろ)。1982年に『犯され志願』でデビューする。ポルノ映画から出発し、以降はジャンルに囚われずに様々な題材を広く取り扱う。
[編集] 来歴
東京大学文学部宗教学科を卒業。1976年に日活に入社する。鈴木清順、大林宣彦、市川崑、根岸吉太郎等の助監督を務めた。
1982年に、日活ロマンポルノの『犯され志願』でデビューする。
1985年に日活を退社した。
1990年11月に、吉田秋生原作の『櫻の園』を発表する。女子高校の演劇部の部員達の友情と衝突を儚く描いた、出色の青春劇である。演劇を上演する直前に舞台裏で騒動が起き、それに翻弄される少女達の複雑な感情を切なく描いた。また「少女達の友情」と言う余り注目されたこなかった題材を、派手さを抑えて繊細に静かに描ききった。20人以上の部員を全員オーディションで選出し、極々普通の少女達の群像をリアルに描いた点も凝っている。これが出世作となり、広く注目を集める。
1991年12月に、三谷幸喜脚本の『12人の優しい日本人』を発表する。一つの部屋で様々な人物が議論を交わす、演劇用にあらかじめ舞台が限定された密室劇である。戯曲の映画化と言う珍しい試みに挑んだ。
1993年に、福本伸行原作のオリジナルビデオ『闇金の帝王』を発表する。普通に劇場公開される映画を何本も撮った映画監督がVシネマを作るのは、極めて異例と言える。
2002年2月に、市川美和子主演の『コンセント』を発表する。兄の死をきっかけにオカルトに傾倒していった女性を、エロティックに描いた。ホラー劇ではあるが、特に暗くせずに明るい色調で綴った異色作である。
2002年6月に、宮崎あおい主演の『富江最終章 禁断の果実』を発表する。お化けに付き纏われて困惑する少女の苦悩を描いた、不気味なホラー劇である。暗い色調で童顔の宮崎を捉え、アイドル映画としての要素も併せ持つ作品となった。
2003年にドラマ『スカイハイ』の第1話と第2話の、2004年に同第2部の第8話と最終回の第9話の監督を務めた。
2005年12月5日にTBS系列で放映された阿川佐和子原作の2時間ドラマ『ウメ子』の監督も務める。
[編集] 監督作品
- 『犯され志願』:1982年。
- 『奴隷契約書 鞭とハイヒール』:1982年。
- 『聖子の太股 女湯小町』:1982年。
- 『宇能鴻一郎の姉妹理容室』:1983年。
- 『ぼくのおやじとぼく』:1983年。
- 『3年目の浮気』:1983年。
- 『縄姉妹 奇妙な果実』:1984年。
- 『イヴちゃんの花びら』:1984年。
- 『初夜の海』:1984年。
- 『ぼくの女に手を出すな』:1986年。脚本兼任。
- 『メイク・アップ』:1987年。
- 『シャコタン・ブギ』:1987年。
- 『猫のように』:1988年。
- 『DokiDokiヴァージンもういちどI LOVE YOU』:1990年。脚本兼任。
- 『櫻の園』:1990年。
- 『12人の優しい日本人』:1991年。
- 『シーズン・オフ』:1992年。
- 『Lie lie Lie』:1997年。
- 『コキーユ』:1999年。
- 『歯科医』:2000年。
- 『カラフル』:2000年。
- 『コンセント』:2002年。
- 『富江最終章 禁断の果実』:2002年。
- 『でらしね』:2002年。
- 『DVドメスティック・バイオレンス』:2004年。
- 『苺の破片』:2004年。高橋ツトムと共同で監督。
[編集] 受賞歴
- 1982年:『犯され志願』でヨコハマ映画祭新人監督賞。
- 1991年:『櫻の園』
- 芸術選奨文部大臣新人賞映画部門。
- キネマ旬報監督賞。
- キネマ旬報ベストテン第1位
- ヨコハマ映画祭監督賞。
- 毎日映画コンクール優秀作品賞。
- 日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞。
- 1992年:『12人の優しい日本人』で文化庁優秀映画作品賞。