上毛新聞
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上毛新聞(じょうもうしんぶん)は、群馬県の県域地方新聞。発行部数は30万部以上。群馬県内では、読売新聞や朝日新聞を抑えて一番購読されている(2006年8月時点)。本編と、スポーツ・芸能・放送番組表を掲載した別冊「上毛スポーツ」編の2冊1セットで発行されている。
現社長の高橋康三(2006年8月時点)は、群馬県で起きた事件(大久保清事件や浅間山荘事件)の時に、状況を詳しく知る地元新聞記者としてTVに出たこともある。
推理作家の横山秀夫は、同社の社会部記者を勤めていた。代表作のひとつ『クライマーズ・ハイ』は、著者が記者時代に遭遇した日航機墜落事故取材の体験をまとめ上げたもの。小説のなかで出てくる「北関東新聞」は「上毛新聞」をモデルとしているわけではなく作品中に上毛がライバル社として書かれている。
毎年元日には、同紙社長と群馬県知事との新春鼎談が掲載されているが、2005年は群馬県を舞台にしたNHK連続テレビ小説・「ファイト」が同年4月から放映されることを受けて、主演者・本仮屋ユイカが出演した。
目次 |
[編集] 歴史
- 1887年11月1日 - 『上毛新聞』創刊(群馬日報、上野新報を合併)
- 1893年3月19日 - 『上毛新聞』を『関東日報』と改題するが、9月には『上毛新聞』に戻す
- 1895年3月3日 - 主筆・山崎林太郎を日清戦争に特派する
- 1904年 - 日露戦争に特派員(田村理太郎)を送る
- 1923年 - 東京、埼玉、栃木に支局増設。紙面を6ページにする
- 1924年11月13日 - 『新埼玉新聞』創刊
- 1926年2月13日 - 夕刊を廃す。同時に紙面を6ページから8ページにする
- 1928年4月1日 - 足利支局開設
- 1929年4月29日 - 草野心平が営業部員に。12月から編集局員
- 1930年9月1日 - 新潟県六日町に支局開設。新潟版始まる
- 1931年 - 埼玉版始まる(1月15日)。名古屋支局(7月)と長岡支局(9月1日)、開設
- 1932年3月2日 - 上海事変の重大化で特派員を送る
- 1937年3月13日 - 東京版を設ける
- 1939年4月1日 - 株式会社上毛新聞社に
- 1940年10月1日 - 戦時報道統制により、上州新報、群馬新聞などを合併。県一紙の『上毛新聞』となる
- 1949年12月1日 - 夕刊発行
- 1952年11月 - 写真電送受信機導入
- 1953年 - 上毛新聞労働組合が発足。以降労働争議が続く
- 1961年5月 - 朝夕刊一本化
- 1964年4月19日 - 新社屋移転。
- 1967年1月1日 - 新年号にグラビアカラー印刷(外注)。カラー元年となる
- 1970年 - 日本で初めて活字を使わない最新鋭のフィルム版を使用した紙面を採用した(9月30日)。初のカラー印刷(11月25日)
- 1971年4月16日 - 群馬テレビ開局、キャスターを派遣。ニュース提供
- 1972年2月 - あさま山荘事件をカラー写真で報道。事件をカラー写真で報道するのは全国初
- 1975年2月 - 伊勢崎支局開設、館林支局開設(4月)
- 1981年6月 - 安中支局完成
- 1983年8月 - 中之条支局完成
- 1985年4月1日 - 館林支局完成、藤岡支局完成(8月)
- 1989年11月1日 - コンピューターによる電子編集システム(CTS)稼働
- 1990年6月 - 社員の米国研修開始
- 1994年8月 - 館林支局新社屋完成。地域新聞「館林シャトル」創刊(9月1日)
- 1995年5月 - はるな支局開設
- 1996年6月 - 大間々町に「わたらせ支局」開設。本社新社屋完成、高崎支社新社屋完成(7月)
- 1997年1月 - 太田支社が完成
- 1998年9月2日 - ポケットベル情報サービス開始。群馬のポータル雷神ドットコム(raijinn.com)スタート
[編集] 本社
前橋市古市町一丁目50番21号
[編集] 支社
[編集] 支局
前橋市 沼田市 渋川市 中之条町 藤岡市 富岡市 安中市 桐生市 伊勢崎市 館林市 みどり市 大泉町
[編集] 主なOB
[編集] 外部リンク
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