三無事件
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三無事件(さんゆうじけん)とは、1961年12月12日に起きた、旧日本軍の元将校らが画策したクーデター未遂で、破防法適用第1号となった事件でもある。陸軍士官学校第59・60期同窓会「国史会」の急進派が中心になった事から国史会事件とも呼ばれる。
「三無」は無税・無失業・無戦争の3つの“無し”から取られたもので、老子の「無は有に転ず」から“さんむ”ではなく“さんゆう”と呼ばれていたという。
具体的な内容は以下の通り。
- 無税…官公庁の大幅人員削減による財政収縮と公社公団の民営化
- 無失業…大規模な公共事業の実施による失業者吸収
- 無戦争…ミサイルや宇宙兵器の開発による外国からの侵略の阻止
[編集] 概要
1961年12月12日、警視庁公安部が新宿区須賀町のビルなど2箇所と福岡県内の1箇所を早朝から一斉捜索。空気銃や防毒面を押収、川南豊作他13人を逮捕。クーデター計画「三無」が白日の下に曝された。関係者は計34人にのぼり、世間はその顔ぶれに驚かされる。
一味は60年安保闘争における共産主義―左翼の台頭を危惧し、容共的な閣僚・政治家を粛清する目的でクーデターを企んだという。
作戦は
と、段階を踏む手筈になっていた。
なぜ公安部が計画を察知出来たのかについては諸説あり(内通者説、大物右翼が池田首相に知らせた等)、明確にされていない。
また、自衛隊の一部部隊にも参画するよう工作されていた事が判明しているが、自衛官の関与者については処分された様子がなく(但し一線からは外され、閑職に追いやられた模様)、この件について防衛庁は現在に至るまで沈黙を保ったままである。
[編集] 関与者
年齢は全て当時 直接の容疑は殺人予備、または銃刀法違反
- 川南豊作(59)―首謀者 日本重工代表(戦争成金の造船業者 公職追放で没落)
- 桜井徳太郎(64)―元陸軍少将
- 三上卓(53)―元海軍中尉。五・一五事件の首謀者
- 小池一臣(34)―陸士卒の元青年将校(「国史会」会員)で印刷関連会社社長。戦後の一時期自衛隊に入隊していた。
- 篠田英悟(38)―本土防空で鳴らした第343海軍航空隊のパイロット
- 川下佳節(25)―三無塾塾長・のち市川市会議員
この他、武器調達に韓国の大物実業家・康烱吉、やはり韓国の陸軍少将・朴林垣、中国の実業家・李樹森が関与。三無塾の他、右翼団体「菊旗同志会」が決起に参加する予定だった。未確認であるが、接触があったのではないかと疑われた人物には辻政信・源田実、自衛隊の現職陸将補や大隊長などがいるといわれる。
[編集] 三無事件を題材とした作品
- 大野 芳『革命』(祥伝社、2001年) ISBN 4396631863