三浦朗次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三浦 朗次(みうら あきつぐ、天保5年8月13日(1834年9月15日) - 安政7年2月21日(1860年3月13日))は、美作勝山藩の第8代藩主。越前丸岡藩主・有馬清純の子。正室は松田勝敬の娘。官位は従五位下。志摩守。
1834年8月13日生まれ。幼名は剛之助。1848年11月22日、先代藩主の三浦義次が隠居したため、その後を継いだ。1860年2月21日、27歳で死去し、後を養嗣子の三浦弘次が継いだ。法号:清広院。墓所:東京都府中市紅葉丘の誓願寺。
- 三浦氏(勝山藩8代)藩主
- 1848~1860
-
- 先代:
- 三浦義次
- 次代:
- 三浦弘次