三方原
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三方原(みかたはら/みかたがはら)は、静岡県浜松市の南部(旧浜松市の北西部。天竜川以西~浜名湖以東の間)に広がる洪積台地。三方ヶ原とも表記する。
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[編集] 概要
東西10km、南北15km、標高25~110m。天竜川の扇状地が隆起したものである。この台地が存在するため、旧浜松市内には坂が多い。日本茶の産地。2005年7月現在、全域が浜松市域に属している。
[編集] 歴史
1572年(元亀3年)、当地で武田信玄と徳川家康両軍が戦い(三方ヶ原の戦い)、徳川家康は敗走した。
江戸時代は入会の採草地であったが、明治時代に入ると茶の栽培が盛んになる。1914年(大正3年)には浜松から金指方面への浜松軽便鉄道(浜松鉄道を経て遠州鉄道奥山線、1964年廃止)が開通、また浜松飛行隊第7連隊、高射砲第1連隊など陸軍の軍事施設も設置された(現在は航空自衛隊浜松基地)。
戦後は浜松市の近郊住宅地として発展し、静岡大学浜松キャンパスも立地する。
[編集] 「小豆餅」と「銭取」
三方原には「小豆餅」「銭取」という地名がある。これは三方ヶ原の戦いで敗れ浜松城へ引き上げる途中の家康が当地で小豆餅を食べたが、武田軍が迫ってきたため代金を払わず逃げた。これを店の老婆が追いかけ、家康から代金を取った、との言い伝えによる。(文献によると家康が敗走の際、糞尿を漏らして城へ逃げ帰ったと言う記述がある。真偽は不明であるが、命からがら逃げる最中であり、真実とも捉える事が出来る。)小豆餅から銭取までは約2kmあり、老婆は騎乗の家康をそれだけ追っていったことになる。 小豆餅は1~4丁目まである正式地名だが、小字だった銭取はバス停に名称を残すのみとなっている。
「小豆餅」「銭取」の名を冠した和菓子がある。が、小豆餅町内に和菓子屋はない。
かつて三方原を北上していた遠鉄奥山線にも「銭取駅」「小豆餅駅」があった。廃線跡は生活道路やサイクリングロードとして、断片的に残っている。
[編集] 交通
[編集] 外部リンク
- 地名!? - 銭取 「小豆餅」「銭取」の地名について解説。
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