青葉 (重巡洋艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1924年1月23日 |
進水: | 1926年9月25日 |
就役: | 1927年9月20日 |
その後: | 1945年、呉にて着底 |
除籍: | |
性能諸元 | |
排水量: | 基準:8,300トン |
全長: | |
全幅: | |
吃水: | |
機関: | |
最大速: | 33ノット |
航続距離: | |
兵員: | |
兵装: | 20cm連装砲3基、61cm魚雷発射管8門 |
航空機: | 水上偵察機2機 |
青葉 (あおば)は、旧日本海軍の重巡洋艦で、青葉型重巡洋艦の1番艦。三菱重工業長崎造船所にて起工。
目次 |
[編集] 建造の背景
先に日本海軍において建造された古鷹型重巡洋艦は、20cm単装砲6基を有し他国の巡洋艦を圧倒したが、主砲弾の装填を半人力式としたために装填速度が遅いという欠点を抱えていた。 ワシントン軍縮条約において、「補助艦艇は排水量1万トン、主砲最大20.3cm以内」と定められ、その範囲内で欠点の解消と、さらなる火力強化のために古鷹を改設計する事となった。 こうして建造されたのが重巡洋艦「青葉」である。
[編集] 古鷹型との相違点
本艦は基本設計が古鷹型と同じ物を使用しているために、似通った部分が多いが性能向上の為の改設計によって多少の相違が見られる。最大の相違点は古鷹型が20cm単装砲6基だったのに対して20cm連装砲3基に改正されている事である。 これにより、弾薬装填の遅さの問題は改善され、結果的に攻撃力の強化に繋がった。さらに、竣工時から水上機用のカタパルトを装備し索敵能力の強化も図られている。
[編集] 戦歴
太平洋戦争開戦以前は日華事変に出動し、上海上陸作戦の支援などを行っている。開戦後は南洋部隊に所属し、トラック諸島方面へ進出した。1942年6月にはラバウルへ進出して第一次ソロモン海戦に参加。その後10月にサボ島沖海戦に参加した際に、敵巡洋艦部隊のレーダー射撃を受けて大破し、修理を受けている。
レイテ沖海戦に参加し、1944年10月23日 ルソン島西方で米潜水艦ブリーム(USS Bream, SS-243))の雷撃を受け大破。右舷前部機械室への魚雷命中により右に13度傾斜したが軽巡洋艦鬼怒に曳航されてマニラ湾に入港。その翌日に米軍の空母艦載機による攻撃を受けたが、応急修理の後呉軍港に帰投した。
[編集] 最後
前述の通り潜水艦の攻撃で大破した青葉は呉で本格的修理を行う予定であったが、あまりも大きすぎる損傷のために修理の見込みが立たず、呉工廠近くに繋留放置されていた。 1945年3月より呉軍港に対する米軍空母機動部隊よる攻撃が開始されると、青葉も防空砲台として奮戦したが7月24日に命中弾1至近弾1、28日に命中弾4を受けて艦尾はほぼ切断状態となり艦内は海水で満水となりついに大破着底した。そのままの状態で終戦を迎え、戦後に引き上げられて解体されている。
[編集] 同型艦
[編集] 関連項目
大日本帝国海軍の重巡洋艦 |
太平洋戦争 |
古鷹型:加古 | 古鷹 青葉型:青葉 | 衣笠 |
妙高型:妙高 | 那智 | 足柄 | 羽黒 |
高雄型:高雄 | 愛宕 | 摩耶 | 鳥海 |
最上型:最上 | 三隈 | 鈴谷 | 熊野 |
利根型:利根 | 筑摩 鈴谷改型:伊吹 | 301号艦 |
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