一柳直重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一柳 直重(ひとつやなぎ なおしげ、慶長3年(1598年) - 正保2年6月24日(1645年8月15日))は、伊予西条藩の第2代藩主。初代藩主・一柳直盛の長男。正室は大納言・菊亭公矩の娘。官位は従五位下、丹後守。
慶長3年(1598年)、山城国伏見にて生まれる。慶長14年(1609年)、丹後守に叙任する。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では、父と共に徳川方として参戦している。父の死去により、寛永13年(1636年)11月24日家督と3万石の所領を相続し、伊予西条藩主となった。その後は陣屋町(喜多浜町)の構築や加茂川の治水工事、新田開発などを行なって藩政の確立に尽くした。寛永17年(1640年)、讃岐高松藩の生駒高俊改易においては、松平定房や加藤泰興と共に高松城在番を務めた。正保2年(1645年)6月24日に48歳で死去し、跡を長男の一柳直興が継いだ。法号:直指院殿見嫂宗性大禅大門。墓所:東京都港区芝の増上寺。