一柳直興
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一柳 直興(ひとつやなぎ なおおき、寛永元年(1624年) - 元禄15年8月3日(1702年8月25日))は、伊予西条藩の第3代藩主。父は第2代藩主・一柳直重(直興は長男)。母は菊亭公矩の娘。正室は松平重直の娘。官位は従五位下、監物。
1624年、伊勢神戸にて生まれる。通称は左近。1645年、父の死去により後を継いだ。このとき、5000石を弟の一柳直照に分与している。そのため、西条藩は2万5000石となった。1646年に叙任する。1661年閏8月、幕命により女院御所造営助役に任じられたが、そのときの工事遅延や参勤交代の遅参、さらに藩政の悪政や無作法などを理由とされて、1665年7月29日、改易されて加賀藩の前田綱紀に身柄を預けられた。
1686年に罪を許されて、その後は金沢に住んだ。1702年8月3日に死去。享年79。墓所:石川県金沢市三溝町の高巌寺。