ロナルド・クーマン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
ロナルド・クーマン(Ronald Koeman、1963年3月21日 - )は、オランダ・ザーンダム出身の元同国代表サッカー選手(ディフェンダー)、現オランダのPSVアイントホーフェンの監督。実兄は元サッカー選手でサッカー監督のエルウィン・クーマン。
1980年にフローニンゲンでキャリアをスタート。1983年にはアヤックスへ移籍し、正確なボールコントロールと得点能力の高さで存在感を発揮すると、同年4月27日のスウェーデン戦では代表デビューを果たし、ヨーロッパを代表するリベロとして活躍をみせた。
さらに翌1984-1985シーズンにはリーグ優勝を果たし、1986年にはPSVアイントホーフェンへ移籍。在籍した3シーズン全てでリーグ優勝を果たし、他にもカップ優勝2回、チャンピオンズカップ優勝をも果たし、チームの核として活躍をみせた。また代表でもEURO1988での優勝に貢献した。
1989年にはその活躍が評価され、ヨハン・クライフ率いるバルセロナに移籍。リーガ4連覇を達成するとともに、UEFAチャンピオンズリーグ優勝にも貢献した。イタリアのサンプドリアとの息も詰まるような決勝戦、延長後半10分に弾丸フリーキックを叩き込みクラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ優勝をもたらしたのは、他ならぬこのロナルド・クーマンだったのである。このゴールは現在もバルセロナファンの間で伝説のゴールとして語り草になっている。1990年のイタリアW杯、1994年のアメリカW杯にもそれぞれ出場し、チームを支えた。
リベロながら得点力に優れ、リーグで1シーズン21得点を挙げた年もある。クーマンの強烈なシュートは「牛をも殺すシュート」と呼ばれていた。PKの名手でもあり、所属クラブ、そしてオランダ代表においても、ほとんどの場面は彼が蹴っていた。
1995年にフェイエノールトへ移籍し、2シーズン在籍した後に引退。引退後は指導者として各クラブチームの監督を務め、その手腕は高い評価を得ている。
- ポジション CB
- 身長/体重 182cm/81kg
- 出身地 ザーンダム
- 代表歴 77試合14得点
- 代表デビュー 1983年4月27日
[編集] 選手経歴
- フローニンゲン(オランダ) 1980-1983
- アヤックス(オランダ) 1983-1986
- PSVアイントホーフェン(オランダ) 1986-1989
- バルセロナ(スペイン) 1989-1995
- フェイエノールト(オランダ) 1995-1997
[編集] 指導者経歴
PSVアイントホーフェン - 2006-2007 |
---|
1 ゴメス | 2 クロムカンプ | 3 ライツィハー | 4 アレックス | 5 ボール | 6 シモンス | 7 ヴァイリネン | 8 コクー | 9 クライファート | 10 コネ | 11 メンデス | 14 ダ・コスタ | 15 クリーナ | 16 アイサティ | 17 ファルファン | 18 アッド | 19 ラメイ | 20 アフェレイ | 21 ムーンス | 22 フェヘール | 23 サルシード | 24 ヌグイェン | 25 デ・ヨンク | 26 タルデッリ | 29 スミト | 32 デボック | 監督 R・クーマン | 編集 |