ルイス・バカルター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルイス・"レプケ"・バカルター(Louis "Lepke" Buchalter、1897年2月12日 - 1944年3月4日)はニューヨークのユダヤ系ギャングスターで、イタリア系の犯罪組織と手を組み「殺人株式会社」と呼ばれる暗殺部隊を指揮していた。ギャングの大物ボスで死刑になった最初で最後の人物。
あだ名は、イディッシュ語で「小さなルイス」を意味する"Lepkeleh"から来ており、これは母が少年時代に彼をそう呼んでいたことにちなむ。
ニューヨーク・マンハッタンのローワー・イースト・サイドで、東欧出身のユダヤ移民の間に生まれる。少年時代から盗みに手を出し、22歳までにすでに2年も服役していた。
友人のジェイコブ・シャピロとともに労働運動を利用し、企業や労働組合に対する恐喝などを続けた。配下にはアルバート・アナスタシアなどがいた。
1930年代初頭、ラッキー・ルチアーノ、ジョニー・トーリオとともに「緩やかな」同盟を結成し、それと共にベンジャミン・シーゲル、マイヤー・ランスキーはマーダー・インク(この名自体はマスコミの命名)を結成し、バカルターはトップに就任する。
1937年に特別検察官のトーマス・デューイが組織犯罪に対して圧力をかけたため一時期姿を隠す。その間、自分を有罪にする恐れのある人物を次々と消していった。その後、レプケ自らFBIに出頭した。連邦法によって麻薬取締り法で裁かれればニューヨーク州から殺人で告発されることは無いというのがレプケの考えだった。しかし、予想外のことが起こってしまう。レプケの側近のエイブ・"キッド・ツイスト"・レルズが逮捕されてレプケのことを洗いざらい話してしまった。そのことで未解決事件がブルックリンだけで49件も片付いた。
1944年にレプケは2人の部下ルイス・カポネ、メンディー・ヴァイスと共に死刑にされた。 電気椅子で死んだ唯一の大物ギャングといわれている。
[編集] 外部リンク
- The Last Days of Lepke Buchalter by Allan May
- Louis Buchalter at Encyclopædia Britannica
- Spartacus Educational: Louis Lepke
- Louis Lepke at Virtualology.com
- Lepke, 2 Pals Die In Chair At Sing Sing
- Federal Bureau of Investigation - Freedom of Information Privacy Act - Reading Room: Louis "Lepke" Buchalter
- バカルターの墓 at FindAGrave.com
- Louis "Lepke" Buchalter from Ron Arons' lecture "The Jews of Sing Sing"
- Louis "Lepke" Buchalter surrenders to J. Edgar Hoover