ベンジャミン・シーゲル
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ベンジャミン・シーゲル(Benjamin Siegel、1906年2月28日 - 1947年6月20日)はアメリカのギャングで、ラスベガスの開発推進者。本名ベンジャミン・シーゲルバウム (Benjamin Siegelbaum)。渾名はバグジー (Bugsy)。意味はばい菌、害虫といった蔑称で、彼自身はこの名を忌み嫌っていた。
ニューヨークのブルックリンで、オーストリア出身のユダヤ系の貧しい両親の間に生まれる。少年時代にはストリート・ギャングとなり、マンハッタンのローアー・イースト・サイドのラ・ファイエット通りを中心として窃盗などの犯罪を働き、露天商から上納金を取り立てたりした。
1920年頃、マイヤー・ランスキーと知り合ってその親友になった。シーゲルはランスキーを助ける一方、彼が派遣するヒットマンともなった。1930年、ランスキーはラッキー・ルチアーノとシーゲルとを引き合わせた。これ以降、彼はコーサ・ノストラと関わり合いを持つようになった。カステラマレーセ戦争の間はサルヴァトーレ・マランツァーノ側につき、ジョー・マッセリア殺害に参加。そして、マーダー・インク結成に関与した。1935年にはダッチ・シュルツとも同盟を結び、彼のライバルだった闇金融のルイスとジョセフのアンベルク兄弟を殺害。
1937年に犯罪組織から西側海岸での組織拡大を任されてカリフォルニアに送られた。ラスベガスにカジノホテルの草分けとなるフラミンゴホテル(現在のフラミンゴ・ラスベガス)を建設し、カジノ事業開発に情熱を注いだが、度重なる不運もあり経営的には失敗を重ね、組織から金銭横領を疑われ始めた。当初はランスキーがシーゲルを擁護したことから、組織による責任追及だけは何とか逃れていた。
ところが、愛人(彼には1929年に結婚した妻がいた)のヴァージニア・ヒル(ホテル名のフラミンゴは彼女の女優時代の愛称)に浪費癖があり、現実に彼女が多額の現金をかすめ取ってヨーロッパに逃亡したことで、1947年6月20日夜、カリフォルニア・ビバリーヒルズのヒルの邸宅に居るところをヒットマンのエディ・カニッツァーロにM1カービン銃で顔などを銃撃されて殺された(両目が吹き飛ばされるほどだったという)。遺体はハリウッド共同墓地に埋葬された。
彼はギャング構成員からハリウッド・スターに転身していたジョージ・ラフト (George Raft) と親交を持ち、自分自身も甘いマスクでハンサムであったことから本気で俳優転身を考えたことがあると言う。私生活は派手で昔ながらの典型的なギャングであった。
アメリカの映画『バグジー』(1991年)では、彼の波乱に富んだ半生が描かれている。また、映画・『ゴッドファーザー』に登場するマフィア、モー・グリーンはシーゲルがモデルである。