リッサ海戦
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リッサ海戦 | |
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海戦の初期配置 |
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戦争: 普墺戦争 | |
年月日: 1866年7月20日 | |
場所: リッサ島沖(アドリア海) | |
結果: オーストリア艦隊の勝利 | |
交戦勢力 | |
オーストリア・ハンガリー帝国 | イタリア王国 |
指揮官 | |
ヴィルヘルム・フォン・テゲトフ少将 | ペルサーノ大将 |
戦力 | |
装甲艦7隻 非装甲艦14隻 非戦闘艦4隻 | 装甲艦12隻 非装甲艦14隻 非戦闘艦9隻 |
損害 | |
大破1隻(非装甲艦) 負傷138名 戦死38名 | 沈没2隻(装甲艦) 負傷40名 戦死620名 |
リッサ海戦は普墺戦争中の1866年7月20日に、アドリア海リッサ島沖で装甲艦12隻他のイタリア軍と装甲艦7隻他のオーストリア軍との間で戦われた海戦。オーストリアの勝利で終わった。
[編集] 背景
普墺戦争でイタリアはプロイセンと同盟し、オーストリアと戦闘を行っていた。イタリア陸軍は苦戦を強いられていたが、1866年7月に入ると、プロイセン軍がケーニッヒグレーツでオーストリア軍を撃破したこともあって、オーストリアの旗色が悪くなっていた。そこで、イタリア海軍はオーストリア領リッサ島攻略を立案し、1866年7月15日に艦隊がイタリア・アンコナから出撃した。
[編集] 戦闘
イタリア艦隊は18日からリッサ島に対する艦砲射撃を行った。20日、オーストリア艦隊が到着し戦闘となった。
海戦は20日10時30分頃に始まった。海戦の直前にイタリア艦隊の司令官ペルサーノ大将は旗艦を装甲艦「レ・ディタリア」から装甲艦「アフォンダトーレ」に変更した。そのためイタリア艦隊は混乱し海戦はオーストリア側に有利に推移した。また、イタリアの非装甲艦は戦闘に参加しなかった。
オーストリア艦隊は装甲艦7隻でイタリアの装甲艦3隻と戦い、非装甲艦で残りのイタリア装甲艦を相手にした。
旗艦と思われた「レ・ディタリア」は集中砲火を受け、さらに11時20分オーストリア装甲艦「フェルディナント・マックス」の衝角攻撃を受け沈没した。オーストリア装甲艦と交戦した残り2隻のイタリア装甲艦「パレストロ」、「サン・マルティーノ」も後退した。「パレストロ」は14時30分に火薬庫の誘爆によって沈没した。
オーストリアの非装甲艦「カイザー」はイタリア装甲艦「レ・ディ・ポルトガロ」に衝角攻撃を行ったが逆に艦首が大破し、さらに装甲艦「アフォンダトーレ」の砲撃により大きな損害を受けた。
戦闘は12時30頃に中断し、日没と共に両軍は引き上げた。
この海戦では、非装甲艦は装甲艦に対抗できないことと、衝角戦が有効であるということが示された。
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