ヨハネ (使徒)
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使徒ヨハネ(しと-)は、新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。洗礼者ヨハネと区別するために特に「使徒ヨハネ」と呼んだり、ゼベダイの子ヨハネ、福音記者ヨハネと呼ぶこともある。また神学者ヨハネとも呼ばれる。
ヨハネは兄のヤコブとともにガリラヤ湖で漁師をしていたが、ナザレのイエスと出会い、その最初の弟子の一人となった。ペトロ、兄弟ヤコブとともに特に地位の高い弟子とされ、イエスの変容の場面や、ゲッセマネにおけるイエス最後の祈りの場面では、彼ら三人だけが伴われている。ルカによる福音書ではイエスから最後の晩餐の準備をペトロとヨハネの2人が仰せつかっている(ルカ22:8)。
ヨハネによる福音書ではイエスが十字架にかけられたときも弟子としてただ一人「愛する弟子」が十字架の下にいたと書かれている(ヨハネ19:26)。このためキリスト磔刑図においては、伝統的にイエスの母マリアとヨハネを左右に配する構図が存在する。
また、ヨハネ福音書ではイエスの墓が空であることを聞いてペトロとかけつけ、真っ先に墓にたどりついたのもこの弟子であり、伝統的に使徒ヨハネのことだと信じられている。これについては「イエスの愛しておられた弟子」の項を参照のこと。
ヨハネはエルサレム教団においてペトロとともに指導的立場にあった(使徒言行録3:1など)。
古い伝承では使徒たちの中で唯一殉教せず、パトモス島で晩年を過ごし、福音書や黙示録を記した(ヨハネ黙1:9)。また、イエスの母マリアを連れエフェソに移り住み、そこで没したという。アトス山の修道院を開いたのは、ヨハネに伴われたイエスの母マリアであるとする伝説もある。
教会では伝統的には『ヨハネによる福音書』、『ヨハネの手紙一』、『ヨハネの手紙二』、『ヨハネの手紙三』、『ヨハネの黙示録』が使徒ヨハネによって書かれたとされてきたが、近代以降の聖書学ではそのような見解を支持しない学者もいる。 ヨハネ文書の項を参照のこと。
ヨハネおよびヨハネの福音書はしばしば鷲のシンボルであらわされる。これは『エゼキエル書』1:10に登場する四つの生き物に由来し、それぞれ四人の福音記者と福音書にあてはめられている。