ヨハネス23世 (対立教皇)
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ヨハネス23世(Johannes XXIII 1370年頃-1419年11月22日 在位1410年-1415年)は教会大分裂(シスマ)の時期(1378年-1417年)の対立教皇である。当時、ヨハネス23世とローマ教皇グレゴリウス12世(1406-1415) 、アヴィニョンの対立教皇ベネディクトゥス13世(在位1394-1417)の3人の教皇が並び立っていた。
ナポリ出身、本名はバルダッサレ・コッサ(Baldassare Cossa)。経歴は怪しく海賊、軍人であったとも言われる。ピサ教会会議で選出されたアレクサンデル5世(対立教皇、在位1409-1410)の急死後、メディチ家の支援でコッサが教皇位に就く。アレクサンデルはコッサに殺されたとの噂もあったという。メディチ銀行は教皇庁との取引で莫大な利益を上げた。
1413年ナポリ王にローマを追われ、フィレンツェに逃亡する。教会大分裂の事態を解消するため、神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントの圧力で1414年、ドイツにコンスタンツ公会議(ヤン・フスの断罪でも知られる)を召集するが、ヨハネスはコンスタンツから逃亡。公会議で3人の教皇は廃位され、1417年新たにマルティヌス5世が選出される。コッサはこの公会議で、異端、聖職売買をはじめ、海賊、殺人、強姦、男色、近親相姦など様々な罪状で告発、拘禁されるが、メディチ家の尽力で釈放された。その死後、サン・ジョヴァンニ洗礼堂(フィレンツェ大聖堂に隣接)にヨハネスの墓碑が造られた。