ヤマブキオー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1970年4月11日 |
死没 | 1984年 |
父 | パーソロン |
母 | アサマヒカリ |
生産 | 鍋掛牧場 |
生国 | 日本(栃木県黒磯市) |
馬主 | 清水一郎 |
調教師 | 森末之助(美浦) |
競走成績 | 47戦20勝 |
獲得賞金 | 2億9476万5800円 |
ヤマブキオーは、日本の競走馬。近代競馬最後のJRA20勝を達成した。中京記念・金鯱賞・ダービー卿チャレンジトロフィー・中山記念・京王杯スプリングハンデキャップ・函館記念等を勝った。典型的中距離馬で、当時の1800メートルと2000メートル級では無類に強かった。又、斤量負けしないタイプで、函館記念では63.5キロの斤量を克服し直線鋭く抜け出し勝利している。また創成期の交流戦である『地方競馬招待』というレースも快勝。同期のハイセイコーとタケホープ引退2走前の対決であった1974年11月の東京1800メートルのオープンレースで、2頭を差し置いて優勝したのも同馬である。流石に、八大競走の様な大一番では距離適性もあり結果を残せていないものの、(有馬記念4着・5着はあるが…)天皇賞馬・アイフルを何度も破っている。パーソロンの中期の代表産駒と言えるだろう。当時は一開催に1~2レース設定されていたオープンレースに強かった為に”オープン大将”なるニックネームも存在した。サクラショウリが日本ダービーを制した1978年まで現役で居続け、ラストランとなった有馬記念こそ最下位で終えたが、この年も9歳(数え表記)にも関わらずオープンで2勝を挙げている。