モレク
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モレクは古代の中東で崇拝された神の名。男性神。元来はモロクという。ヘブライ語では מלך (mlk)。元来は「王」の意。人身供犠が行われたことで知られる。
パレスチナにもモレクの祭儀は伝わった。古代イスラエルでは、ヘブライ語で恥を意味するボシェト(bosheth) と同じ母音をあて、モレクと呼ぶのが一般的であった。『レビ記』では石打ちの対象となる大罪のうちに、「モレクに子どもを捧げること」が挙げられている。しかしソロモン王は、モレクの崇拝を行ったことが『列王記』に述べられている。ここではモレクは、アンモニ人の神であるアンモンの子らと同義に置かれる。
モレクへの言及は新約聖書にも見られ、ユダヤ人にとって避けるべき異教の神とみなされたことがわかる。
中世以降、注釈者たちは、モレクをフェニキアの主神であるバアル・ハンモンと同一視するようになった。これには古典古代の作家たちが伝えるバアル・ハンモンの崇拝が人身供犠を特徴としていたことが大きい。プルタルコスらは、カルタゴではバアル・ハンモンのために、人が焼きつくす捧げ物として犠牲にされたことを伝え、この神をクロノスあるいはサトゥルヌスと同一視した。
1921年にオットー・アイスフェルトは、モレクについての新説を発表した。これはカルタゴの発掘調査に基づいており、mlk が「王」の意味でも神の名でもないとする。アイスフェルトの説によれば、この単語は、少なくとも幾つかの場合には人身供犠を含む、ある特定の犠牲の形式を指す語であった。子どもをつかんでいる祭司を描いたレリーフが発見された。また祭儀場らしい場所からは、子どもの骨が大量に発見された。子どもには新生児も含まれていたが、より年齢が上のものもあり、ほぼ6歳を上限とするものであった。アイスフェルトは、旧約聖書の中で語義が不明であった「トフェト」 (tophet)がこの祭儀場を指す語であったと唱えた。
同じような場所は、フェニキア人の植民市があったサルディニア、マルタ、シチリアでも発見された。
アイスフェルトの説は、発表されて以来、幾人かの疑念を除けば、ほぼ支持されてきた。しかし1970年にカルタゴの人身供犠についての見解を修正する説をサバティーノ・モスカティが唱えた。モスカティはカルタゴでの人身供犠が日常的なものではなく、極めて困難なときに限り捧げられたと考えた。この点についての論争は、現在のところ決着を見ておらず、さらなる考古学的証拠の発見が結論が待たれている。
ソロモンの小さな鍵では、悪魔学によりソロモン72柱の魔神の1柱で、序列は21番で、召喚者の前に玉座に腰掛けた中世風の王(牛頭)の姿で現れるとされた。モラクス(Morax)、フォラクス(Forax)、フォライー(foraii)など様々な別名がある。天文学、占星術だけでなく宝石、薬草にも詳しく、召喚者に使い魔を与えるとされる。
[編集] その他
マックス・フォン・シリングスがモレク信仰によるオペラ『モロック』を作曲している。