モラヴィア王国
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モラヴィア王国(Velkomoravská říše)は、9世紀から10世紀初頭にかけて栄えたスラヴ人の王国。大モラヴィア王国などとも表記される。現在のモラヴィア、スロヴァキア辺りの地域を支配した。
9世紀前半、文献にモラヴィア王国についての記述があらわれる。846年に即位したロスティラフは、東フランク王国の圧迫に抵抗しつつ、ビザンツ帝国からキュリロスとメトディオスを招いた。この際にグラゴール文字が作成された。しかし、ロスティラフは甥のスワトプルクに離反され失脚、後を継いだスワトプルクは最終的に東フランク王国に屈服した。これによってビザンツ帝国から招いた修道士たちは追放され、モラヴィア王国のカトリック受容が決定的になった。スワトプルクの死後は王位継承をめぐる争い、東フランク王国の圧力、さらにマジャル人の侵入により荒廃し、10世紀前半に事実上滅亡した。