ポール・カステラーノ
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ポール・カステラーノ(Paul Castellano, 1915年6月20日 - 1985年12月16日)は、当時全米最強のファミリーのガンビーノ一家でカルロ・ガンビーノの後を1976年に継いだボス。ブルックリン出身。本名コンスタンティノ・ポール・カステラーノ(Constantino Paul Castellano)。生前はスタッテンアイランドに居を構える。
アメリカのコーサ・ノストラを仕切るコミッションの、ボスの中のボスであったが、1985年12月16日にジョン・ゴッティ、フランキー・デ・チッコらに、ニューヨークのステーキ店(スパークス)でトミー・ビロッティとともに暗殺された。暗殺の理由は、組織の合法化への反発や、コロンビア人メイドとのロマンス、副ボスだったアニエロ・デラクローチェへの不義理、自宅がFBIに盗聴されており、その為ニューヨークのボス連中が次々と逮捕されたことに対する他ファミリーの反発など様々であったが、直接の理由は、一家内で厳禁事項であった麻薬取引に手を染めていたゴッティが、後見人のデラクローチェの死後粛清されるのを恐れての暗殺と思われる。デ・チッコはカステラーノ派の人間であったが、暗殺成功後の副ボスの地位と引き換えにゴッティについて、暗殺のための会合を手引きした。ジェノヴェーゼ一家のボス、ヴィンセント・ジガンテはこのクーデターを認めず、ガンビーノ一家との間で抗争が勃発している。
もとともとはシチリア系であり、かつ実家は肉屋を営んでいた。ステーキ店で殺されたのも何かの因縁であろう。また彼の妻はカルロ・ガンビーノの親戚にあたる。そのためカルロは、実際でも、通称でも「いとこのカルロ」と呼ばれた。ちなみに、カステラーノを暗殺したゴッティは、シチリア系ではなくナポリ系の血を引く。
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