カルロ・ガンビーノ
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カルロ・ガンビーノ(Carlo Gambino, 1902年8月24日 - 1976年10月15日)は、ニューヨークのイタリア系マフィア(コーサ・ノストラ)のボスの一人。配下のガンビーノ一家を全米最強のマフィア一家に育て上げた。
ガンビーノは、シチリア島のパレルモ近郊のカッカーモ(Caccamo)に生まれた。1921年にニューヨークにいた母方のカステラーノ家のつてを頼り、一家でアメリカに移住。ワインやオリーブ油などを密輸した。その後、シチリア系のコミュニティーリーダーだったヴィト・カッシオ・フェロ (Vito Cascio Ferro) の手下として働く。その後ジョー・マッセリアの配下となる。
マッセリアとサルヴァトーレ・マランツァーノが殺害され、ニューヨークがラッキー・ルチアーノによって五大ファミリーに分割されると、ブルックリン地区を仕切ったヴィンセント・マンガーノの配下となる。その後、副ボスだったアルバート・アナスタシアがマンガーノを殺してボスに納まったが、ガンビーノはジェノヴェーゼ一家のボス・ヴィト・ジェノヴェーゼと組んで、ジェノヴェーゼのライバルのアナスタシアを暗殺し、その論功により一家のボスに据えられた。
だがガンビーノはジェノヴェーゼの傀儡に甘んじることなく、フランク・コステロ、マイヤー・ランスキー、さらには子供同士が結婚しているルッケーゼ一家のボスのトーマス・ルッケーゼらと組んで今度はジェノヴェーゼを麻薬取引の容疑で逮捕させる陰謀に成功した。またプロファチ一家のボスには傀儡のジョセフ・コロンボを据え、ボナンノ一家のボス、ジョセフ・ボナンノを引退に追い込んで、ガンビーノ一家はニューヨーク最強の地位を確立した。最後に残っていたジェノヴェーゼ一家についてもジェノヴェーゼの死後ボス代行となっていたトーマス・エボリを暗殺し、後釜に盟友のフランク・ティエリを据えるに及んでガンビーノの地位は絶対的なものとなった。
ガンビーノの賢明な支配の下、一家は拡大を続け、構成人員は正式メンバー以外の関係者を含めると数千人に達し、全米最大を誇った。
ガンビーノ自身は小柄で地味な服装の目立たない、唯一鷲鼻が特徴的な男であった。生活はつつましく、家庭を大事にしており、近所の露店でよく買い物をした。ジョセフ・ボナンノはガンビーノのことを自著の中で「リスのような弱虫で、(当時のボスの)アルバート・アナスタシアに殴打されても薄ら笑いを浮かべていた」と中傷している。しかし20年弱の彼の支配の間に、その一家は全米で最強の一家となった。まずはラッキー・ルチアーノ以降最も有力なボスと言えるだろう。
1976年に心臓病で死去し、クイーンズ区のセント・ジョーンズ墓地に埋葬された。葬儀には千人以上が参列したが、その中には一般市民のほかに警察関係者、政治家もいたという。
ガンビーノは死の直前、後継ボスとして一家内で最大の勢力を誇る副ボスのアニエロ・デラクローチェではなく、いとこのポール・カステラーノを指名した。その時点では分からないことであったが、10年後にデラクローチェの後を継いだジョン・ゴッティによってカステラーノは暗殺され、一家の運命は下降線をたどることになったのである。
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
- Carlo Gambino
- ガンビーノの墓 - find_a_grave.com