ペトル・ツェフ
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ペトル・ツェフ(ペトル・チェフ)(Petr Čech、1982年5月20日 - )は、チェコ、プルゼニ出身の同国代表サッカー選手。ポジションはGK。身長197cm、体重87kg。
名前の発音は各言語により違いがあるが(日本ではツェフ以外にツェホ、チェフなどと表記される)、チェコ語ではぺテル・チェクとなる。一般的となった日本語の表記ツェフはドイツ語に近いが、ドイツ人はツェヒと発音する。
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[編集] 経歴
[編集] クラブ
チェコの小クラブ、ビクトリア・プルゼニュでキャリアをスタート。次いで地元のクラブ、クメル・ブルザニーに移籍し頭角を表すと、2001年夏に同国の名門・スパルタ・プラハへ移籍。この時の移籍金が70万ユーロ(約9200万円)だったことから、若手GKの一人に過ぎないツェフに1億円近く投資したスパルタの判断は先見の明ありと言えるだろう。ツェフは移籍後すぐにポジションを射止めると、リーグではもちろん、チャンピオンズリーグでもスパルタの堅守に貢献。グループリーグで前年覇者のバイエルンを完封するなどの活躍を見せる。
2001-2002シーズン終了後は活躍の場を国外に求め、フランスのレンヌに加入。ここでも難なくレギュラーの座を手中に収め、高いパフォーマンスを披露。長年中位~下位をさまよっていたレンヌをリーグ中位に押し上げた。
そして2004年夏、2シーズン在籍したレンヌを離れ、FAプレミアリーグのチェルシーへ。移籍当初は実績あるカルロ・クディチーニとのポジション争いが予想されたが、EURO2004で高めた前評判も手伝ってか、すんなりと正GKの座に収まる。持ち前の堅実なプレーを見せて、移籍一年目ながらピーター・シュマイケルが保持していた個人694分連続無失点のプレミアリーグ記録を更新。チームもツェフとともに、アーセナルが保持していた823分の連続無失点記録を更新。その後、この記録を1025分まで伸ばしている。チェコ最優秀選手賞とともにUEFA最優秀GK賞を受賞。プレミアリーグはもとより、ワールドクラスのゴールキーパーとして確固たる評価を得た。現在、イタリアのジャンルイジ・ブッフォンとともに世界最高のGKと評される。
順風満帆なキャリアを歩んでいたツェフだったが、2006年10月14日のプレミアリーグ・対レディング戦でボールを奪おうとしたレディングのスティーヴン・ハントと激しく接触。頭蓋骨陥没骨折の重傷を負ってしまう(一時は意識不明に陥る)。意識は回復したものの、復帰には最短でも1年はかかると診断された。全快と復帰が待たれるところである。
[編集] 代表
年代別代表では、2002年夏に行われたU-21欧州選手権で優勝。決勝ではフランスを完封し、PK戦でもPKを2回止めている。A代表デビューはU-21時代に飛び級で抜擢された2002年2月の対ハンガリー戦で果たしている。そのA代表にもEURO2004(欧州選手権)予選より定着し、正GKとなった。そしてEURO2004では準決勝まで進出。チェコは準々決勝のデンマーク戦を除き全ての試合で失点を喫したが、これはチェコのディフェンス組織が必ずしも強固とは言えないためである。ツェフに関してはゴールマウスを守るのが彼でなければどれだけ失点を喫していたか、と思わせるほどに抜群の安定感を誇った。準決勝ではギリシャのデラスのヘッドに沈み、決勝を前にして敗れたが、ツェフのパフォーマンスは大会を通し高い評価を得た。
ワールドカップ最終予選ではオランダに2試合で4失点を喫したもののグループ2位に付け、ノルウェーとのプレーオフに回る。これをトータルスコア2-0で制し、自身初となるドイツ・ワールドカップへの出場権を獲得。しかし本大会では4失点を喫してしまいチームもグループリーグ敗退に終わった。だが、3試合4失点という結果はツェフの失敗のみを表すようなものではなく、彼自身は再三に渡って好セーブを連発している。特に2戦目のガーナ戦では2失点を喫したものの、ツェフの孤軍奮闘ぶりは際立っていた。シュート20本(うち枠内シュート8本)とガーナの厳しい攻めに遭いながら2失点で抑えたそのパフォーマンスは、守護神と呼ばれるに相応しいものであった。
[編集] プレースタイル
堅実かつ冷静な判断を軸にしたセービングが売りで、なおかつ至近距離からのシュートにも鋭い反応を見せる。長身を生かしたハイボールの処理にも長けており、クロスボールやコーナーキックの処理も非常に安定している。ゲーム展開に拘わらず、終了のホイッスルが鳴るまで維持される集中力も素晴らしいものがある。ただし足元の技術はそれ程高くないため、イージーミスを時々犯すのが玉に傷。
[編集] 所属クラブ
- ビクトリア・プルゼニュ(チェコ) 1998-99
- クメル・ブルザニー(チェコ) 1999-01
- スパルタ・プラハ(チェコ) 2001-02
- スタッド・レンヌ(フランス) 2002-04
- チェルシーFC(イングランド) 2004-
[編集] 外部リンク
チェルシーFC - 2006-2007 |
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1 ツェフ | 3 A・コール | 4 マケレレ | 5 エッシェン | 6 カルヴァーリョ | 7 シェフチェンコ | 8 ランパード | 9 ブラールズ | 10 J・コール | 11 ドログバ | 12 ミケル | 13 バラック | 14 ジェレミ | 16 ロッベン | 18 ブリッジ | 19 ディアッラ | 20 フェレイラ | 21 カルー | 22 ヘドマン |23 クディチーニ | 24 ライト=フィリップス | 26 テリー | 40 イラーリオ | 43 バートランド | 44 マンシエン | 監督 モウリーニョ | 編集 |
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