ベルリン美術館
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ベルリン美術館 (Staatliche Museen zu Berlin) は、ドイツのベルリンにある美術館・博物館群である。プロイセン王家歴代のコレクションを基礎として1830年に発足した「旧博物館」がその発祥であり、以後、コレクションが増大するにつれ、新たな博物館が次々に建てられた。「ベルリン美術館」とは、単独の美術館ではなく、市内の「博物館島」(ムゼウムスインゼル)、ティアガルテン地区、ダーレム地区などに存在する多くの美術館の総称である。原語のStaatliche Museen zu Berlinは、「ベルリンの国立博物館群」の意である(ただし、Staatlicheは日本語の「国立」の語感とは異なり、「国民の」というニュアンスである)。日本語では、1991年にNHKの特別番組「ベルリン美術館-もう一つのドイツ統一」が放送されるなど、「ベルリン美術館」が美術館・博物館群全体を指す場合の一般的な表記となっている。
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[編集] ベルリン美術館を構成する各部門
ベルリン美術館は、プロイセン文化財団によって運営され、以下の18の部門から成る総合美術・博物館である。
- エジプト美術館およびパピルス・コレクション
- 古代(ギリシャ、ロ-マ)美術コレクション
- 先史・初期歴史博物館
- 古代末期・ビザンティン美術館
- 古代近東美術館
- 絵画館
- ナショナルギャラリー
- 彫刻コレクション
- 版画素描コレクション
- イスラム美術館
- 東アジア美術館
- インド美術館
- 工芸美術館
- 民族学博物館
- 民俗学博物館
- 貨幣室
- 芸術図書館
- 石膏模造製作所
なお、以上18の各部門がそれぞれ1つの博物館に相当するわけではなく、1つの建物に複数の部門が展示されていたり、1つの部門が複数の博物館に分かれていたりするので、注意を要する。たとえば、ペルガモン博物館には1つの建物の中に「古代(ギリシャ、ロ-マ)美術コレクション」「古代近東美術館」「イスラム美術館」の展示がある。
[編集] 博物館島
ベルリン美術館発祥の地は、世界遺産に登録されている「博物館島」(ムゼウムスインゼル、独:Museumsinsel)である。「博物館島」は、ベルリンの中心部、シュプレー川の中洲の北半分を占め、旧博物館、新博物館、旧ナショナルギャラリー、ボーデ博物館、ペルガモン博物館の5館がある。19世紀当時、この島にはプロイセン王国の王宮があり、周辺には大聖堂、市庁舎などがあるベルリンの中心地であった。1830年、時のプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の命によって旧博物館が開設されて以来、1世紀をかけて整備されたものである。以下に開館年次順に各館の概要を略述する。
- 旧博物館(Alte Museum) 19世紀ドイツを代表する建築家カルル・フリードリッヒ・シンケルの設計によるギリシャ神殿風の堂々たる建築で、1830年に開館した。第二次世界大戦で被害を受け、修復後、再開館したのは1966年である。1階に古代美術コレクションを展示、2階は「博物館島」の再編工事が完了するまでは臨時の展示室になっている。
- 新博物館(Neue Museum) 1859年に開館した。この建物は第二次世界大戦の空襲によって「博物館島」の中でももっとも甚大な被害を受け、大戦以後長らく廃墟となったまま休館していた。修復工事完了後、2009年に再開予定で、エジプト部門と先史・初期歴史博物館部門の展示が行われる予定である。
- 旧ナショナルギャラリー(Alte Nationalgalerie) 銀行家で美術品収集家であったヨハン・ハインリヒ・ヴァーゲナーのコレクションの遺贈を受け、1876年に開館したものである。第二次世界大戦による被害の修復後、1950年に再開された。東西ベルリン統一後の1992年よりリニューアル工事のため再度休館、2001年からは19世紀絵画の展示館として再スタートした。
- ボーデ博物館(Bodemuseum) 1904年に開館したドームのある建物。博物館島の北端に位置し、建物の外壁は直接川に面している。当初はカイザー=フリードリヒ博物館と称したが、1956年にヴィルヘルム・フォン・ボーデ(1845-1929)の功績を記念してボーデ博物館と改称した。ボーデは20世紀初期にベルリン美術館の総館長を務めた人物で、優れた運営手腕と学問的知識により、コレクションの拡大に努めた。当館は2006年全面再開の予定でリニューアル工事中であり、再開後は彫刻コレクション、古代末期・ビザンティン部門、貨幣部門がここで展示される予定である。
- ペルガモン博物館(Pergamonmuseum) 「博物館島」の中ではもっとも新しく、1930年、「旧博物館」の開館から百周年の年に開館した。ヘレニズム彫刻の代表作である「ペルガモンの大祭壇」、バビロニアの「イシュタール門」をはじめ、発掘された古代の建造物がそのまま館内に再構築されている。
[編集] 第二次世界大戦後
「博物館島」の各館は、第二次世界大戦の空襲で甚大な被害を受けた。大戦中、各地に疎開させていた美術品のうち、一部は火災などで消滅し、一部はソビエト連邦軍によって持ち去られた。東西ベルリンの分離後、「博物館島」は東ドイツの管理下にあった。ソビエトに持ち去られた美術品は1958年に東ベルリンに返還されたが、英米の管理地区に疎開され、英米軍が保管していた美術品は東ベルリンにある「博物館島」に戻されることはなく、西ベルリンには東ベルリンとは別の「ベルリン美術館」が建設されることとなった。市の南西部、ダーレム地区にあり、アジア博物館として使われる予定であった建物が1956年、西ベルリン側の絵画館となり、「ダーレム美術館」と呼ばれるようになった。ここにはおもにアメリカ軍から返還された絵画が展示された。さらに1968年には西ベルリンのティアガルテン地区にミース・ファン・デル・ローエの設計による現代建築の「新ナショナル・ギャラリー」(Neue Nationalgalerie)が開館した。
1990年の東西ドイツ統合後、それまで東ベルリンと西ベルリンに分かれていた「ベルリン美術館」の組織も統合した。従来、東ベルリンに14館、西ベルリンに14館あった博物館・美術館は統合整理され、あちらこちらの館に分かれて所蔵されていた美術品も、部門別に整理が進められた。1998年にはティアガルテン地区に新しい「絵画館」(Gemäldegalerie)が建設され、従来ボーデ博物館とダーレム美術館にあった絵画のうち、18世紀以前のもの(イタリア・ルネサンス、ドイツ・ルネサンス、ネーデルラント絵画など)がこの「絵画館」に集められた。絵画に関しては19世紀のもの(19世紀ドイツ絵画、フランス印象派など)は「博物館島」の旧ナショナルギャラリー、20世紀のもの(パブロ・ピカソ、エドヴァルド・ムンク、パウル・クレーなど)はティアガルテンの新ナショナルギャラリーで展示することになり、各館の役割分担が明確になった。「博物館島」の各館は、1999年にプロイセン文化財団が決定したマスタープランによりリニューアル工事が進んでおり、完了は2010年頃の予定である。
[編集] 主な収蔵品
ドイツ絵画、ネーデルラント(オランダ)絵画の主要作品を参考までに挙げる。なお、絵画部門では他にイタリア絵画、スペイン絵画、フランス印象派、ドイツ表現派などにも著名な作品が多数ある。
- アルブレヒト・デューラー『ひわの聖母子』(1506年)
- ルーカス・クラナッハ『青春の泉』(1546年)
- ハンス・ホルバイン『商人ゲオルク・ギーツェの肖像』(1532年)
- ヤン・ファン・エイク『聖堂の中の聖母子』(1440年頃)
- ロヒール・ファン・デル・ウェイデン『ミッデルブルグ祭壇画』(1450年頃)
- ピーテル・ブリューゲル『ネーデルラントのことわざ』(1559年)
- レンブラント・ファン・レイン『スザンナの水浴』(1647年)
- ヨハネス・フェルメール『真珠の首飾りの女』(1660年-1665年頃)
- カスパ-・ダヴィト・フリードリヒ『孤独な樹』(1822年)
- アルノルト・ベックリン『死の島』(1883年)
[編集] 外部リンク
- Staatliche Museen zu Berlin(ドイツ語、英語)
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