フラクトゥール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フラクトゥール(Fraktur、フラクトゥーア)は、ドイツ文字、亀甲文字、ヒゲ文字などとも呼ばれる書体である。ドイツでは、第二次世界大戦頃までこの書体を印刷に常用していた。
フラクトゥールは、中世のヨーロッパで広く使われた、写本やカリグラフィーの書体を基にした活字体・ブラックレターの一種であり、最も有名なものである。時には、ブラックレターを全部指して「フラクトゥール」と呼ぶこともある。
フラクトゥールの語源は、古いラテン語の分詞、frangere(壊す)、fractus(壊れた)であり、他のブラックレターや現在よく使われるローマ字体であるアンティカ体に比べて線が崩れているところに特徴がある。この書体では、大文字のIとJに外見上の違いがないことがある。ただ、両者の起源は同じであり、区別する必要があまりなかったためでもある。また、語尾以外では小文字sに長いs( ſ )を用いる。
目次 |
[編集] 種類
- ゴシック体
- 本文書体 lettre de forme
- スンマ書体 lettre de somme
- 折衷ゴシック体 gothique bâtarde romaine
下表は、コンピューターに収録されている書体により、期待通り表示されないことがある。
A | B | C | D | E | F | G | H | I | J | K | L | M | N | O |
A | B | C | D | E | F | G | H | I | J | K | L | M | N | O |
a | b | c | d | e | f | g | h | i | j | k | l | m | n | o |
a | b | c | d | e | f | g | h | i | j | k | l | m | n | o |
P | Q | R | S | T | U | V | W | X | Y | Z | Ä | Ö | Ü | |
P | Q | R | S | T | U | V | W | X | Y | Z | Ä | Ö | Ü | |
p | q | r | ſ, s | t | u | v | w | x | y | z | ä | ö | ü | ß |
p | q | r | ſ, s | t | u | v | w | x | y | z | ä | ö | ü | ß |
[編集] 利用状況
最初のフラクトゥールは神聖ローマ帝国のマクシミリアン1世の治世(1493年-1519年)に、彼の出版事業に際して特別にデザインされたものである。フラクトゥールは人気を博し、以前のブラックレターであるシュヴァーバッハー体(Schwabacher、ヨハネス・グーテンベルクが使った書体)やテクストゥアリス(Textualis/Textur、テクストゥラ体とも)などの書体に取って代わるようになり、様々なヴァリエーションのフラクトゥールの活字が彫られるようになった。
ブラックレターが16世紀頃までに衰えた他のヨーロッパ諸国と異なり、ドイツでは19世紀でもフラクトゥールでの製版が常用されていた。いくつかの本はまだシュヴァーバッハー体を使用していたほどである。なかでも優勢なフラクトゥールの書体は「Normalfraktur」と呼ばれるものであり、様々な細かい違いの活字が存在した。
ドイツ語を母語としない人々とのコミュニケーションの際に、フラクトゥールによる出版は障害をきたしていた。古代ローマの書体を模範にしてイタリアで発展し人文主義者らによってヨーロッパに広まっていたアンティカ体、ローマン体などの書体が18世紀以降ドイツでも広まり、フラクトゥールに置き換わるようになった。しかしアンティカ体による置き換えをめぐって、ドイツ語はどちらで表記するのがよいかという「アンティカ・フラクトゥール論争」が起こっている。20世紀、ナチス・ドイツは、ドイツを故意に他の西洋諸国とは異なった国にしようという意図から、中世以来の伝統的なフラクトゥールを正式なドイツ語の書体とし、国際的なアンティカ体はアーリア的ではないと宣告した。この公式な立場は1930年代後半を通じ維持されていたが、1941年1月3日、官房長マルティン・ボルマンが突然全ての政府機関に対して「フラクトゥールはユダヤ人の文字(Judenlettern)なのでこれ以上の使用を禁止する」という文書を発したためフラクトゥールは公式文書から消えてしまった。この命令の原因として、ドイツ政府は第二次世界大戦で占領下に置いた地域でフラクトゥールが命令伝達の障害となっていることを認識したのではないかという推測があるが、占領地域での伝達障害の主な原因はドイツ人占領者の(フラクトゥールを基礎にした)手書き文字でありフラクトゥールそのものではないという反論がある。真の理由は、ドイツ国外で押収した活字や印刷機を使ってドイツ語文書を作りたかったからではないかともいわれる。
フラクトゥールは戦後のドイツで短い期間ではあるが復活した。ドイツの多くの印刷業者は1955年ごろまで資金不足にあえぎ、新しい活字を買う余裕がなかったためフラクトゥールの活字を引っ張り出したのである。経済が復興するに従い、古い体制を思わせるフラクトゥールは新聞や書籍から姿を消した。
今日のドイツでは、フラクトゥールは装飾用の書体としてまれに使われる程度である。例えばドイツの古くからの新聞は、一面にある新聞の名前をフラクトゥールで表記しているが、記事も見出しもアンティカ体である。また、パブなど飲み屋の看板にもよく使われる。こうした看板や装飾での使用では、小文字sや長いsの区別や、連字・合字などのルールはあまり気にされていない。フラクトゥールの個別の文字は数学の分野でも使われている。例えば、リー環、完全加法族、イデアルの表記の際にはフラクトゥールを使うことがある。
人工言語ヴォラピュクの初期の版では、ローマン体に加えてフラクトゥールの母音字を使用した。後の版ではこれは廃され、ローマン体に分音記号を付けたもので代用している。
[編集] フラクトゥールのバリエーションの例
右の図にあるドイツ語は、"Walbaum-Fraktur"、"Humboldtfraktur"という字体の名前の後に、 "Victor jagt zwölf Boxkämpfer quer über den Sylter Deich" という無意味な文章が続いている。文の意味は、「ヴィクターはシルトの堤防を横切って十二人のボクサーを追いかけた」となるが、これはローマ字の26文字とウムラウトのついた文字を全部使うパングラム(pangram、全ての文字を使って作る文)である。