パトラ
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パトラ(希 Πάτρα, 古代ギリシア語 Πάτραι, 英 Patra)はペロポネソス半島北西部にある、ギリシャ第3の都市。アカイア県の県都。人口は約16万人(2001年)。
[編集] 歴史
パトラの歴史は3000年以上前までさかのぼり、ミケーネ文明に属すると考えられている。ドーリア人の侵攻の後、ラコニアから移り住んだミケーネ人はパトレアスという指導者のもと現在の場所に都市を築いた。これが名前の由来とされている。古代には農業地帯として、ローマ期にはイタリアとギリシャを結ぶ港町として栄えた。皇帝ネロの時代には、パトラに布教で訪れた聖アンドレアスが、捕らえられ殉教したと言われる。彼はこの町の守護聖人とされ、彼を 記念するバシリカ様式の教会がたてられている。
オスマントルコの支配下に入った後もパトラは農業と貿易の中心地として発展した。1821年にギリシャ各地でオスマン帝国に対する反乱の火の手があがると、パトラでも3月25日に主教ゲルマノスの呼びかけで蜂起が始まった(ギリシャ独立戦争)。現在この日はギリシャの独立記念日となっている。その際オスマン帝国軍に市街地を焼き払われたが、その後あたらしく整然とした街並みがつくられた。
[編集] 現在
コリンティアコス湾の入り口にあたり、イオニア海に面した港湾都市。オリーブ油、ブドウ酒、皮革などの輸出港で、タイヤ製造もさかん。アドリア海をはさんで、イタリアとの間には長距離フェリーが頻繁に往復している。町には古代のアクロポリス跡、ローマ時代のオデオン(音楽堂)を初め、ヴェネツィア占領期、オスマントルコ時代の遺跡も残り、観光が重要な産業となっている。1月から3月にかけては盛大なカーニバルが開かれるが、これはリオデジャネイロやヴェネツィアのカーニバルと並んで世界的に有名である。