バラック
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バラック(英 barracks)とは、焼け跡や空き地などに建設される仮設の建築物のこと。通常の建築物(バラックに対して本建築という)は数十年以上もたせることを考えてしっかり構造計算を行い、整地や基礎工事を行う。しかしバラックは、当面の間に合わせであることが多いため、整地などは行わず、大抵のものは簡易に造られている。なお、英語ではbarrackは動詞で、barracks(簡易住居、仮小屋、バラック。兵舎の意味もある)に収容することを指す。通常の日本語では、行政などから組織的に提供される仮設住宅はバラックに含めない。
[編集] 概要
関東大震災等の天災後や、東京大空襲等の大規模な戦災のあとに、トタンや有り合わせの木材、破壊されなかった建築物を組み合わせ、雨露をしのぐ程度のバラックが大量に建てられた。 これは、震災・戦災後という非常事態では、市街地建築物法(現在の建築基準法)の規定に従った建築を行っていては住居の供給が間に合わないため、特別立法が行われ、基準を満たさない建築物でも建てることが認められたためであった。これらの多くは、小規模な住居を建築するだけだったが、中には築地小劇場のような比較的大きなものも建造された。
特別立法は期間限定の法律であるため、混乱の収束後、これらは補強をおこなって本建築並みの基準を満たすか、または取壊して建て直すことが求められた。しかし、バラックが建てられたのは、主に被災後の混乱による地権者不明の土地などで、混乱が収束した後に戻ってきた地権者ともめたりすることがあった。また公的な土地利用のための強制収用も盛んに行われたため、土地を追い出された人々は、親戚縁者に頼ったり、新たに土地を買って家を建てたり、借家を借りるなどした。このことにより関東大震災後、空家が大量に不足する事態に陥った。このため、少ない借家をどうしても借りたい店子は、大家に礼金と称したお金を渡すようになっていった。
第二次大戦終戦後に色々な街に興った闇市の商店も、バラックが主であった。闇市から発展したアメ横、秋葉原電気街などの店舗は、当時のバラック影響をたぶんに受けており、狭い間口、奥行きの無い店が現在でも見られる。
また、関東大震災後には、今和次郎らが「バラック装飾社」を設立し、商店などのバラック建築をにぎやかにデザインして街を彩った。
なお、河原などにホームレスなどが造るものもバラックと呼ぶことがある。また海外(特にアジア)では、未だにバラックの住居がみられ、貧困にあえぐ様子が伺えることがある。
次のようなものは通常、バラックと呼ばない(?)
- 博覧会・イベントの仮設建造物、住宅展示場のモデル住宅
[編集] 参考文献
- 『アメ横の戦後史―カーバイトの灯る闇市から60年』 長田昭著 ベストセラーズ
ほか