バタビア沖海戦
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バタビア沖海戦(—おきかいせん)とは太平洋戦争初期の1942年3月1日、日本軍と連合軍との間の海戦。日本海軍艦隊とABDA連合艦隊の夜戦。連合軍側の呼称はスンダ海峡海戦(Battle of the Sunda Strait)。
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[編集] 概要
スラバヤ沖海戦の連合軍の残存部隊がスンダ海峡経由でジャワ島南岸のチラチャップへ移動中、日本軍の輸送船団をジャワ島バンタム湾で発見し、攻撃。これを迎撃した日本軍第5水雷戦隊、第7戦隊との間で戦闘となった。 日本軍の砲雷撃によりヒューストン、パースは沈没。日本軍の損害は軽微だったが、第7戦隊の誤射で魚雷が命中した味方の輸送船1隻、病院船1隻が大破し、輸送船1隻、掃海艇1隻を沈めてしまった。
[編集] 参加艦艇
[編集] 日本軍側
西方支援隊
第3護衛隊
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- 第11駆逐隊
- 第12駆逐隊
- 第5水雷戦隊
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- 第5駆逐隊
- 駆逐艦 朝風、春風、旗風
- 第22駆逐隊
- 駆逐艦 皐月、水無月、文月、長月
- 第5駆逐隊
上陸船団
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- 日本陸軍第16軍
- 輸送船約50隻
- 日本陸軍第16軍
[編集] 連合軍側
ABDA連合部隊
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- 重巡洋艦 ヒューストン
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- 軽巡洋艦 パース
[編集] その後
この海戦によりABDA連合の艦隊は全滅し、バシー海峡の突破に成功したアメリカ海軍の駆逐艦のみが脱出した。その後、日本軍は蘭印を掌握した上で、インド洋攻撃も行った。第16軍は3月1月、ジャワ島各所に上陸し、8日にはオランダ軍が降伏、10日にジャワ島最後の砦バンドンを陥落させた。第16軍の司令官今村均中将はジャワ島における軍政でオランダから高い評価を受け、戦後の裁判でオランダは今村中将を追及せず無罪とし、マッカーサーが今村中将の責任感に感動したと言われている。