ドニプロペトロフシク
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ドニプロペトロフシク市のデータ | |
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面積: | 397 km2 |
総人口: | 1,049,000人 (2004年) |
市外局番: | 0562 |
ドニプロペトロフシク(ウクライナ語:Дніпропетровськドニプロペトローウスィク ,Dnipropetrovs'k /ロシア語:Днепропетровскドニプロピトローフスク ,Dnepropetrovsk)は、ウクライナの都市で、ドニプロペトロフシク州(地方管区)の州都。日本では「ドニプロペトロフスク」、あるいはロシア語名に基づいた「ドニエプロペトロフスク」と表記されることが多い。人口は資料により異なるが、110万から130万の間といわれる。ウクライナ第二の都市または第三の都市。ドニエプル川の河畔に位置する工業都市。兵器の生産やエネルギー産業などの重工業を主産業とする。
この地方で確認されている人間の居住は15万年前にさかのぼる。いくつかの民族の交代があり、紀元後1世紀ごろからスラヴ人が住むようになった。9世紀にキリスト教が伝わり、修道院が建てられたが1240年にタタール人に破壊された。タタール人の勢力がこの地方に進展したころには、ドニエプル川の東岸にタタール人、西岸にスラヴ人が対峙し、12世紀にコサックがこの地域を勢力下におくまでこの状態が続いた。
16世紀には、ポーランド王国、オスマン帝国、モスクワ大公国の勢力が角逐する場となった。最終的にロシア帝国領となり、1775年現在の都市が建設された。当時の名は、ロシア皇帝エカチェリーナ2世の名をとって エカチェリノスラフ(Екатеринославイカチリナスラーフ,Yekaterinoslav「エカチェリーナの栄光」の意)といった。ロシア革命後に現在の名に改称された。
ドネツクと並び、ウクライナ有数の工業の中心地であり、ソ連時代を含め多数の人材を送り出している。特に、独立後のウクライナにおいて、首相を4名(レオニード・クチマ、パーヴェル・ラザレンコ、ワレーリー・プストヴォイチェンコ、ユリア・ティモシェンコ)も輩出していることは特筆に価する。
[編集] 出身者
- イリヤ・カバコフ Ilya Kabakov - 現代芸術家
- グレゴール・ピアティゴルスキー - チェロ奏者
- ブラヴァツキー夫人 - オカルティスト
- レオニード・クチマ - 第2代ウクライナ大統領
- オクサナ・バイウル - フィギュアスケート選手
- ユリア・ティモシェンコ - 政治家