ドクタースパート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1986年4月29日 |
死没 | (生存中) |
父 | ホスピタリティ |
母 | ドクターノーブル |
生産 | 須崎光治 |
生国 | 日本(北海道新冠町) |
馬主 | 松岡悟 |
調教師 | 成田春男(北海道) →柄崎孝(美浦) |
競走成績 | 18戦7勝(うち中央競馬12戦3勝) |
獲得賞金 | 1億7150万円 |
ドクタースパートは日本の競走馬である。主な勝鞍は皐月賞、ステイヤーズステークス、京成杯3歳ステークス。
[編集] 戦績
1988年の6月29日、道営競馬帯広競馬場の新馬戦でデビューし3着。2戦目の未勝利戦を2着し、3戦目で初勝利を挙げる。以降は連勝街道を進み4連勝で北海道3歳優駿をレコードで制し、6戦4勝としたドクタースパートは美浦の柄崎孝厩舎に転厩する。転厩初戦の京成杯3歳ステークスでも追い込みを決め快勝。連勝を5とする。またこの勝利は道営出身馬初の中央競馬重賞勝ちとなった。
1989年の初戦はスプリングステークス2番人気に支持されるがナルシスノワールの3着に敗れる。そして、皐月賞。1番人気は前年の3歳王者サクラホクトオー、2番人気は岡部幸雄騎乗の期待馬アンシストリー、ドクタースパートは3番人気であった。雨の影響で不良馬場となったが、ドクタースパートにとってこれは歓迎材料となった。レースはマイネルムートが逃げ、サクラホクトオーは先団、ドクタースパートはその後ろにつける。最後の直線でオースミシャダイを交わすとウィナーズサークルの猛追をしのぎきって優勝。道営出身馬初の中央GⅠ制覇となった。しかし、次走の東京優駿では14着に大敗。秋初戦は父ホスピタリティが中央で唯一敗れた富士ステークス。2番人気も9着に敗れる。以降は6戦して掲示板にも載れない走りが続いた。
1990年12月8日のステイヤーズステークスで1年8ヶ月振りの勝利。今後の活躍が期待されたが屈腱炎を発症し引退する事となった。
引退後は日本軽種馬協会胆振種馬場で種牡馬入りするが目立った産駒を出せず、現在は宮城県で繋養されている。
ダート1200メートルと芝3600メートルという異なる距離・馬場をレコード勝ちした馬でもある。
カテゴリ: 1986年生 (競走馬) | サラブレッド | 日本生産の競走馬 | 日本調教の競走馬