トマス・モア
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トマス・モア(Thomas More、1478年2月7日 - 1535年7月6日)はイギリス・ルネサンス期の法律家、思想家、聖人。政治・社会を風刺した『ユートピア』の著述で知られる。
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[編集] 生涯
ロンドンの法律家の家に生まれる。オクスフォード大学を卒業し、法律家となる。1504年、下院議員。1515年から国王ヘンリー8世に仕え、ネーデルラント使節などを務める。1529年、官僚で最高位の大法官になる。ヘンリーが離婚問題からローマ教皇クレメンス7世と反目すると、大法官を辞任。1534年の国王至上法(国王をイングランド国教会の長とする)にカトリック信徒の立場から反対したことにより査問委員会にかけられ、同年ロンドン塔に幽閉、1535年7月に処刑された。1935年にカトリック教会の殉教者として列聖されており、記念日は6月22日である。政治家と弁護士の守護聖人となっている。
[編集] 思想
トマス・モアはフィチーノの著作に影響を受けた人文主義者であり、神学者ジョン・コレットとは友人であった。また1499年以降、デジデリウス・エラスムスとも親交があった。エラスムスの『痴愚神礼賛』に触発され、『ユートピア』の始めの部分を書いたのは外交官時代の1516年頃という。その後、大法官の頃の経験から、イギリスでは地主や長老がフランダースとの羊毛取引のために農場を囲い込んで羊を飼い、村落共同体を破壊し、農民たちを放逐する現状を知って深く慨嘆する。「羊はおとなしい動物だが(イギリスでは)人間を食べつくしてしまう」(『ユートピア』第1巻)という意味の言葉を残している。(かなり誇張された表現だという指摘もある。囲い込みの項を参照。なお、マルクスは『資本論』にモアを引用し、本源的蓄積について論じている) アメリゴ・ヴェスプッチがカナリア諸島からアメリカ大陸までを旅行した記録『新世界』を深い関心を持って読んだモアは、自然に従って生き、私有財産を持たない共同社会が実在しうる事を確信した。自然法と自然状態が善である証明として書かれたその主著は、ユートピアという架空の国を舞台に、自由、平等で戦争のない共産主義的な理想社会を描いたものである。ユートピア(Utopia)は、どこにも無いという意味の言葉で、古くは「理想郷」あるいは「無何有郷(むかうのさと)」などとも訳されている。トマス・モアはマルティン・ルターの福音主義を否定し、カトリック教会による平和主義と社会正義を求めた。
[編集] 参考
映画:『わが命つきるとも』(1966年 原作、脚本:ロバート・ボルト 監督:フレッド・ジンネマン 主演:ポール・スコフィールド)