トニー・ケイ
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トニー・ケイ(Tony Kaye 1945年 - )は、イギリスのレスター出身のキーボード・プレイヤー。
[編集] 経歴
6歳でクラシック・ピアノを始め、コンサート・ピアニストを目指していたが、18歳でロック・キーボードに転向。幾つかローカル・バンドを経て、1968年12月にイエスに加入。サード・アルバム及びそのツアーに参加した後、1971年7月31日のクリスタル・パレス・ボウルでの公演を最後にイエスを脱退。
その直後、自身がリーダーとなるバジャー (Badger)を結成し、イエスのサポート・バンドなども担当するが、セールス的には成功しなかった。
その後、ディテクティヴ、バッドフィンガーを経て、1983年、クリス・スクワイアから、新しいバンド「シネマ」への参加を打診される。幾つかのトラブルの後に、「シネマ」から結局グループ名を変えた再結成イエスに正式加入。1994年の「トーク」まで参加した後に脱退する。
[編集] 音楽性
最初にイエスを脱退した時の理由は、音楽性の相違とされている。後任のキーボードであるリック・ウェイクマンと比較すると、その演奏スタイルの違いと、イエスが求めていたものは何かが歴然とする。
マルチ・キーボードを持ち込み、バンド演奏そのものに色彩感と劇的な展開性を加えたリック・ウェイクマンに対し、トニーはあくまでも一人のキーボード奏者、とりわけオルガンの演奏にこだわっていた。サード・アルバムではシンセサイザーの音も聴けるが、新しいテクノロジーには概して興味が無く、ハモンドC3とレスリーの可能性を追求し、演奏家としてのポリシーを貫こうとしていたと思われる。
尚、バジャーの『ワン・ライヴ・バジャー』では、トニーの音楽性が遺憾なく発揮されている。
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