デウカリオン
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デウカリオン (Deucalion) は、ギリシア神話の登場人物。プロメテウスとプロノイエの子でプティアの王。デウカリオンの妻ピュラは、プロメテウスの兄弟エピメテウスとパンドラの娘である。
「デウカリオンの洪水」で知られる。世界中の神話・伝説に共通して見られる大規模な大洪水伝説は、、紀元前3000年ごろのメソポタミアで起こった大洪水の記録であるとする説が有力である。デウカリオンの大洪水神話は、この記録と、ギリシアで起こった大洪水の伝承とが重なったものと考えられている。
また、ギリシア神話には、本項で述べるデウカリオン以外に、クレタ王ミノスの子で、イドメネウスの父となったデウカリオンが別人として登場する。
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[編集] 神話
[編集] リュカオンと息子たち
ゼウスが洪水を起こした原因は、次のようなものである。ペラスゴスの息子リュカオンとその子たちは、不信心のために神々の怒りを買った。リュカオンは当初アルカディアにゼウス・リュカイオスの信仰を広めたが、神に祈る際に人間の少年を生贄としたことでゼウスによって狼の姿に変えられた。リュカオンの家はゼウスの雷霆で焼き払われた。リュカオンの息子たちは22名とも50名ともいうが、その悪行の噂はオリンポス山にも知れ渡っていた。ゼウスは貧しい旅人に身をやつしてリュカオンの息子たちのもとを訪れた。彼らは旅人に臓物入りのスープをすすめたが、スープには、羊や山羊の臓物だけでなく、彼らの兄弟の一人ニュクティモスの腸が混ぜてあった。ゼウスはこれを見破ってリュカオンの息子たちを狼の姿に変え、ニュクティモスだけは生き返らせたという。別説では、息子たちが殺したのはニュクティモスではなく、土地の少年で、ニュクティモスが生き残ったのは、ガイアがゼウスを止めたからであるという。
[編集] 大洪水
ゼウスはこれらのことで人間に嫌気がさし、絶滅させてしまおうと、地上に大洪水を起こした。南風とともに豪雨が起こり、恐ろしい速さで海の水かさが増した。沿岸や平野にあるすべての都市が流され、世界はわずかな山の頂以外は水浸しとなった。しかし、デウカリオンは父プロメテウスから警告を受けていたので、いち早く方舟を作り、食料を積み込んで妻ピュラとともに乗り込んでいた。
9日間水上を漂い、ようやく水が引くと、方舟はパルナッソス山に漂着した。これにはエトナ山、アトス山、オトリュス山という説もある。デウカリオンはゼウスに生贄を捧げると、ピュラとともにケピソス河のほとりにあるテミスの神殿で祈りを捧げた。ゼウスはこれに応えてヘルメスを遣わし、デウカリオンの願いを聞き届けるよう命じた。一説にはテミス自身が姿を現したともいう。デウカリオンが人間を新しく蘇らせ給えと願うと、「おまえたちの顔を布で包み、母親の骨を後ろに投げるがよい」とお告げがあった。ピュラはこの言葉に対し、そんな親不孝な事は出来ないと嘆いた。しかしデウカリオンは、「母親」とは大地母神のことで、「骨」とは河岸の石のことだと解釈し、二人は石を拾って背後に投げた。デウカリオンが投げた石から人間の男が誕生し、ピュラが投げた石からは人間の女が誕生した。こうして再び地上には人間があふれるようになった。
[編集] 他の生存者
洪水で助かったのは、デウカリオンとピュラだけではなかったともいう。ゼウスの息子メガロスは寝ているところを鶴の鳴き声で起こされ、ゲラニア山の頂まで導かれた。ペリオンのケラムボスはニンフたちによってカブトムシに姿を変えられ、パルナッソス山の頂まで飛んで難を逃れた。ポセイドンの息子パルナッソスが創建したパルナッソスの住民も、狼の吠える声に目を覚まし、パルナッソス山の頂に逃れた。彼らの一部はアルカディアに移って、リュカオンの行為を繰り返す者もいたため、結局のところ洪水はあまり効果がなかったという者もいる。
[編集] デウカリオンの子孫
デウカリオンとピュラの間には、ヘレン、アムピクテュオン、プロトゲネイア、オレステウス、パンドラ、テュイアが生まれた。長子ヘレンはギリシア人の祖、アンピクテュオンは大洪水以降のアッティカの初代王で、葡萄酒を水で割った最初の人間といわれる。プロトゲネイアは後にゼウスとの間にアエトリオスとオプスをもうける。