ソロボダン・ミロシェビッチ
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ソロボダン・ミロシェビッチ(Slobodan Milošević, Слободан Милошевић セルビア人1941年8月20日 - 2006年3月11日)は、セルビア大統領(1989年 - 1997年)・ユーゴスラビア大統領(1997年 - 2000年)。
ベオグラード大学卒業後、実業界で活躍したが、1980年に政界に転身。1988年2月にスタンボリッチが辞任したのを受けて、セルビア大統領に就任した。スタンボリッチは2000年に何者かに誘拐され、2003年に死体で発見された。セルビアの秘密警察による犯行と見られている。
1991年スロベニア・クロアチア・マケドニア共和国独立に、1992年ボスニア・ヘルツェゴビナ独立運動に軍事介入した。また1998年以降激化したコソボ紛争を治安部隊により弾圧したが、1999年のNATOによるユーゴ空爆後、コソボの国連管理を容認することとなる。
2000年秋の大統領選挙の際、国民の抗議行動により退陣し、大統領の座をセルビア民主野党連合のヴォイスラヴ・コシュトニツァに譲った。コソボ紛争でのアルバニア系住民虐殺などのジェノサイドの責任者として人道に対する罪で起訴され、経済援助を条件にするNATOの圧力の下、2001年4月に職権濫用と不正蓄財の容疑で逮捕・収監された。同年7月には国連旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)に身柄を移送され、以降人道に対する罪などで裁判が行われた。上記のスタンボリッチ殺害の容疑も、含まれている。
高血圧など体調の不具合という理由で、裁判は非常に長引いた。2006年3月11日朝、収監中の独房で死亡しているのが発見された。死因は心臓発作とされている。
ユーゴスラビアから改称したセルビア・モンテネグロでは、国際的な制裁の影響で厳しい経済状況のためにミロシェビッチを慕う者も多い。
カテゴリ: ユーゴスラビアの政治家 | 1941年生 | 2006年没