スロットレーシング
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スロットレーシングとは、1963年頃アメリカ合衆国から渡ってきた動力付き自動車模型の競技、当時「走るプラモデル」と呼ばれた。日本に初めて入ってきたキットはレベル社、モノグラム社、K&B社などの物、結構スピードが出るのでたちまちヒットした。
[編集] 走行・操縦のしくみ
コースは複数の走行車線を持つ。コースの路面には車線ごとに溝(スロット)があり、スロットレーシングカー(以下スロットカー)の車体前部底面にはこの溝にゆるくかみ合うガイドが設けられている。スロットカーはこのガイドに導かれて自車線に沿って走行する。また、溝の両脇には電源供給用の導体が設けられ、車体のガイド左右に取りつけられたブラシ(集電器)を接触させて電流を取得する。この導体に送られる電源は、利用者の手元にあるコントローラーで供給電圧をコントロールされており、スピード調節することができた。今で言えばラジコンカーとミニ四駆の中間的なもの、もっと別な言い方をすればラジ四駆に似たものと言えるだろう。
[編集] 略史
日本の玩具、模型会社もこぞって販売をはじめた。またゲームセンターやボウリング場などの 娯楽施設にもサーキットが置かれた。
しかし、スロットカーの単価は比較的高く、小中学生には手が出せないため、 サーキット場には大人ばかりが集まってしまい、教育現場から「風紀上良くない」と判断され相次いで 子供のサーキット場への出入りが禁止され、さらに急激なマニアック化も向かい風となりビギナーが 育たなくなってしまい急激に人気が落ちた。
1980年代後半から1990年代にかけて、1/24プラモデルを使用したスロットカーが盛り上がった時期があり、バンプロジェクトとさかつうの2台シャシーメーカーが主体となっていた。 しかし、当初からの両メーカーの敵対状況(シャシー開発の方向性の違いから客層が2極化)は最後まで収まらず、パンプロジェクト社製シャシーが、その圧倒的な性能差で、各地のサーキットからさかつう製シャシーを締め出すかたちとなった(事実上さかつう1/24撤退)。また、プラモデル人口の減少、シャシー価格の急騰、シャシー構造の複雑化により、コアなマニア向けの競技となり競技人口が減少、現在では1/24の商業コースは最盛期の2/3になってしまっている。
近年では、安価な完成車で気軽に楽しめる1/32に市場がシフトしてきており、プラスティック製の 組立コースで組んだ商業コースが各地で増えつつある。 かつて鉄道模型のHOゲージからNゲージにシフトした流れに良く似ている。 アナログなスロットレーシングにもデジタルの波が押し寄せ、1/32の本場欧州では、 スケーレックス社、SCX社、カレラ社から次々とデジタルスロットがリリースされた。 デジタルシステムは、同一レーンを2台以上同時走行が出来るものレーンチェンジ機能もある。 ただし各社のシステムには互換性はない。 日本ではタカラがスケーレックスのデジタルシステムをデチューン(同時走行6台→4台)して供給され 「クアトロックス」として販売されている。