スリヤウォンサワーン
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スリヤウォンサワーン(Prince Sauryavong Savang, 1937年1月22日 - )は、ラオス王国の王族で、第2代国王サワーンワッタナーの末息子。1965年にDalavan姫と結婚し、4人の息子を儲けた。しかし、共産主義革命勢力のパテート・ラーオがラオス全土を占拠したため、1975年11月にメコン川を泳ぎ渡ってタイ王国に脱出した。彼は現在ラオス王室の代表であり、彼の甥であるスリウォンサワーン皇太子の摂政を務めている。ラオスを脱出する直前に、スリャウォンサワーン王子はラオス国王の資産を管理する官職に就いていた。ラオスを脱出した現在は、フランスに亡命して居住している。彼はそこで、自動車製造メーカーのルノーで働いていた。
1997年9月、スリヤウォンサワーン王子はスリウォンサワーン皇太子と共に、アメリカのシアトルでラオス王室協議会(Royal Lao Conference)を開催した。協議会には、300人以上のラオ族亡命者とモン族コミュニティーの代表者が出席した。このラオス王族、ラオ族、モン族指導者による歴史的な会議により、ラオスにおける立憲君主制の復活を目指すことが 決断として確立された。そして同時に、「ラオスにおける全体主義体制を真の民主主義体制へ返還する」ことと、「ラオス人民の再統合」を共通の目標として定めた。その後、2000年7月に、彼はワンターオ事件(Vang Tao Incident)で襲撃命令を出したとされ、幾つかの方面から厳しい非難にさらされた。その際、彼はラオス人民民主共和国政府への軍事的攻撃に関する知識を有さないと、事前に否定していた。
現在、スリャウォンサワーン王子は、ラオスにおいて立憲君主制を樹立するために、ラオス王室のスリウォンサワーン皇太子やマンコンスワンナプーム王子、タニャウォンサワーン王子らと共に、ラオス王国亡命政府と協力しながら政治的活動を展開している。
[編集] 関連リンク
- 陰謀うず巻くメコンの秘境ラオス ※ワーンタオ事件に関するニュース解説。