ジョセフ・ダルトン・フッカー
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ジョセフ・ダルトン・フッカー (Sir Joseph Dalton Hooker,1817年6月30日- 1911年12月10日)はイギリスの植物学者である。南極、インド、シッキム地方などを調査し多くの植物標本を収集した。1873年から1878年の間王立協会の会長を務めた。
植物学者ウィリアム・フッカー卿の息子としてヘールスワースに生れた。グラスゴー大学で学んだ。学位を取得した後、1839年から1943年の間、ジェームズ・クラーク・ロスの南極探検の航海に加わった。 南極周辺の各地の植物学に関する調査の成果はFlora Antarctica(『南極の植物相』)、 Flora Novae Zelandiae、Flora Tasmanicaとして出版された。1847年から1851年フッカーはインド、シッキムヒマラヤ地方を訪れ、多数の植物を採集した。その他にパレスチナ(1860年)、モロッコ(1871年)、アメリカ合衆国(1877年)を訪れている。
1855年に王立キュー植物園の副所長になり、1865年、父親の後をついで所長になり、12年間その職を続けた。1873年から王立協会の会長になった。1854年にロイヤル・メダル、1887年にコプリ・メダル、1887年にダーウィン・メダルを受賞した。
またフッカーは進化論の歴史において、チャールズ・ダーウィンが「自然淘汰説」を始めて話した相手として知られ、その後も、ダーウィンとの間で頻繁に文通を行った。
- 王立協会会長
- 1873-1878
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- 先代:
- ジョージ・ビドル・エアリー
- 次代:
- ウィリアム・スポティスウッド