ジュール・ルナール
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ジュール・ルナール(Jules Renard, (1864年2月22日 - 1910年5月22日)は、フランスの小説家、詩人、劇作家。特に小説『にんじん』はよく知られている。簡素で日常的な言葉を使いつつ、鋭い観察力をから様々な優れた作品が生み出された。
[編集] 生涯
1864年にマイエンヌ県のマイエンヌ村に生まれる。父親のフランソワ・ルナールは地元の役人であった。生後すぐにルナール一家の故郷であるレミーヌ村に戻る。17歳の時にパリに出て高等師範学校を目指すも、成績が振るわなかった上、劇作などに興味を持ちはじめたため、進学を断念しパリで創作活動の道を進む。『ばら』を自費出版。中途に兵役期間をはさんで詩や小説を書き始める。23歳の時に倉庫会社の書記官になったが、すぐに解雇された。ガルブラン夫妻とこの頃に知りあい、夫妻は経済的に苦しかったルナールを支援した。1888年、24歳の時にマリー・モルノーと結婚。1889年に文芸雑誌『メルキュール・ド・フランス』(Mercure de France)の創刊に尽力、ここで多くの詩や物語、評論を載せて次第にルナールの知名度が上がってくる。やがて、多くの雑誌や新聞にも作品を投稿するようになり、他の作家との交流も始まる。1892年に『根なしかずら』を発表。ロートレックやアナトール・フランスなどを知る。1894年に『ぶどう畑のぶどう作り』『にんじん』を発表。1896年に『博物誌』『愛人』をリリース。1897年には散文劇『別れもたのし』を上演。この劇は大成功を収め、一躍ルナールは一流作家の仲間入りを果たした。しかし、1897年には父親が病を苦に猟銃自殺を果たし衝撃を受けた。翌年に『別れもたのし』は出版された。やがて政治にも興味を持つようになり、社会主義的な傾向が現れる。1898年に『パンの日々』と『牧歌』を出版。その後、父親が村長を務めていたシトリー村の村長になる。1907年にアカデミー・ゴングールの会員に。1909年に『信心狂いの女』を発表するが、既に高血圧と動脈硬化が激しく、健康は悪化の一途をたどっていた。1910年に動脈硬化症により死去。46歳だった。また、日々ルナールがつけていた日記が『ルナールの日記』として死後出版され、日記文学として認められている。
[編集] 作品
- 『村の犯罪』(1888年)Crime de village
- 『にんじん』(1894年)Poil de Carotte
- 『ブドウ畑のブドウ作り』(1894年)Vigneron dans sa vigne
- 『博物誌』(1896年)Histoires naturelles
- 『別れも愉し』(1897年)Le plaisir de rompre
- 『日々の糧』(1898年)Le pain de ménage
など
日本語訳では、臨川書店より「ジュール・ルナール全集」(全16巻)として出版されている。